《合奏》
八ツ橋久夏: わたしこと八ツ橋久夏がシトラ女学院附属淑女学校に放り込まれることになったのは、十二歳の春だった。
小学生低学年のときに両親が離婚して母とともに八ツ橋の家に身を寄せ、釣りが好きな祖父と刺繍が好きな祖母も交えて楽しく暮らしていたのだけれど、中学へと上がる直前になって突然父方の親戚がわたしの親権を譲渡しろと迫ってきたらしい。
祖父母が身体を張って抵抗してくれたが、このままでは通学途中に車で連れ去られてしまう可能性もあるのではないかとという危惧が持たれた結果、『淑女の鳥籠』という異名を持つシトラ女学院ならばたとえ身内でも面会などが厳しく制限されることから、そこに転校することがとんとん拍子に決まってしまった。
わたしの意思はそこに含まれていないわけだけれど、それでも突然目が覚めたら全然知らない場所だった……というシチュエーションよりは何倍もましだなと思ったので素直に従うことにした。
そうして迎えた転入の日にシトラの様々な規定を改めて聞かされ、果たして卒業までおとなしくやっていけるのだろうかという不安が頭をよぎりながら広大な中庭を歩いていると、綺麗に手入れされて自然と調和している庭園の一角に大きな池があった。
人工のものにしてはなかなか立派で、魚もいろいろと住んでいるのではないかと思われたので魚影を確認できないかなと近くに寄っていく。
(ここで釣りとかしちゃ……だめだよね、さすがに)
しばらくそのまま微動だにしないでいるうちに、不意に肩をぽんと叩かれて身体がびくりとはねてしまう。
「驚かせちゃってごめんなさい。ずいぶんと真面目な顔で池を見ているものだから、どうしたのかしらって思って」
低めの落ち着いた声でそう言ってそのひとは少し微笑んだ。タイの色からして上級生らしい。
「……わたし、そんなに長く見てました?」
「ええ。わたしが近寄っても気が付かなかったくらいだから、相当集中してたんじゃないかな」
「……すみません、釣りができたりしないかなって思いながら魚影を探してただけです……」
どうも心配をかけてしまったようなので正直にそう告白すると、そのひとは一瞬虚をつかれたような表情をしたあとすぐに笑い出した。
「えっ、あっ?!」
「あはは……あなた、面白いわね。シトラではみないタイプだわ……ってことは転入組?」
「あっ、はい。アーセルトレイ附属小等学校から来ました。八ツ橋久夏っていいます」
「ふうん、わざわざこの鳥籠に? わけありかあ」
「まあ、そんなところです……」
久夏が苦笑しながらそう答えると、目の前のひとはふむと少し考えたあとにこう言ってきた。
「わたしは四年の如月彩樺。あなた、『姉妹制度』については説明を受けているかしら?」
「はい?」
……それからわたしはなし崩し的に去年『姉』が卒業してしまってフリー状態となっている彩樺さんと姉妹の誓約を灯すこととなったのだった。もっとも姉妹というよりは悪だくみをする仲間という関係が正しい気がするけれど。
それから二年後、その事件は唐突に発生した。
「久夏ちゃん、寮母さんから手紙受け取ってきたんだけども」
「あ、ありがとうございます」
わたしと彩樺さんは第三寮「タラテア」の二人部屋で共同生活をしている。無断外出お手のものの彩樺さんではあるが、不思議と特にそうした問題行動が露呈することはほぼなく、成績もわたしよりもはるかに優秀で、妹がわたしでなければ五組の姉妹しか選ばれることがないという第一寮に入ることもできているのではないかと思うくらいだ。
「……でも、この手紙なーんかよくない気がする。見せてくれるっていうなら渡すけど」
「な、なんか横暴ですね?!」
とはいえ読まないわけにはいかない。わたしはしぶしぶと頷いて手紙を渡してもらった。……こういうときの彩樺さんの勘はよく当たってしまう。そこに書かれていたのは父の訃報と、それにまつわる遺産相続の件だった。
「うあ……」
正直なところ、あまりいい親子関係とは言い難かった父親の死に関しては特になんの感慨も抱かないのだけれど、その背後にいる父方の親戚がなにかと面倒くさいことは二年前に身をもって実感しているのでほんとうに嫌な予感しかしなかった。
「お父さんの遺産を受け取ってもらいたいって、それはそれであやしいよねえ」
「ええ……」
「こういう揉め事に対処できる伝手があるから、紹介したげよっか?」
「えっ、いいんですか?!」
そうして、わたしは彩樺さんの兄である如月桧斗さんとも縁ができたのだった。
正式に許可を取ってこちらを訪ねてもらい事情を説明すると「便利屋じゃないんだが」としかめっ面をしながらも、この案件を解決するために協力することを約束してくれた。
そこから先の展開は早く、父方の親戚にとって不利となる資料をかき集めると弁護士を通して本来わたしや八ツ橋家がやらなければいけないようなあれこれの処理をあっという間に終わらせてくれた。
その結果、父方親戚の最年長者(おそらく曽祖父だろう)の『今後久夏及び八ツ橋家には関わらない』という念書がわたしのもとへと舞い込んできた。いままでの揉め事があちらの全面降伏による解決をみた形となる。
「ねっ、だからプロだっていったでしょ?」
「そうは言ってませんでしたけど……、でも先生、すごいですね……」
まだ年若いながらフィロソフィアで教授をやっている彩樺さんの兄のことは『先生』と呼ばせてもらっている。
「うちも相続関係でいろいろもめたからねー。兄さん、顔にこそ出さなかったけど最後のほうはもう切れてたもの」
「いちばん敵に回しちゃいけないタイプですね……! お礼、どうしましょう……」
「うーん、時々兄さんの話し相手になってあげるくらいでいいんじゃないかなあ。油断すると数か月誰とでも平気で話さなかったりするから」
「それはそれで、なかなか……」
わたしは多少身震いしつつ、次に会うときはシトラでしか生産されていない少々お高めのお茶菓子をお渡ししようと思ったのだった。
如月桧斗:桜もそろそろ散り始めた去年の4月始め。
今後の予定を久夏に伝えるために、如月は久夏を自宅に呼び出した。
久夏は、厳格かつ古風な校風で知られるシトラ女学院において、唯一の家族であり実妹である彩樺の”妹(ロイカ)”であり、ある事件をきっかけに、いつのまにやら自分も家族、いわばもう1人の妹として対してきた間柄であった。
彩樺は3月に無事にシトラ女学院を卒業し、いつの間にやらつきあっていた婚約者(自分にとっては寝耳に水である)と、いつ戻ってくるかもわからない長期旅行に出かけてしまっていた。
両親が亡くなった10年前から、自分は如月家の当主、そして彩樺の保護者として過ごしてきた。
彩樺が学院を卒業し独り立ちをしたことで、保護者としての責任から解放され、やっと肩の荷が降りたと感じている。
これをきっかけに、かねてよりフィロソフィア大学本部から出されていたオファーを受け入れることにしたのだ。
それは「最果ての塔」と呼ばれる塔にこもって、雑務や授業をせずに好きなだけ研究ができるという特別な階位であった。
その地位を受け入れた場合、フィロソフィアにて秘蔵されている数々の禁書を自由に閲覧する権利が得られるかわりに、研究室かつ居室としてあてがわれる塔の一室に閉じ込められることになる。
いつ旅行から戻ってくるかわからない彩樺には、出立の直前に可能性だけは伝えてあった。
血のつながりがないとはいえ家族同然につきあってきた久夏にも、いちおう状況を伝えておいた方がいいだろうと、春休み中の久夏を、彼女の実家、八ツ橋家からわざわざ呼び出したのだった。
八ツ橋久夏:一回入ってしまえば外に出るための許可がなかなか取れないことで有名なシトラだけれど、節目の休みには数日ではあるが実家への帰宅が認められるという例外があった(もっとも、そういった環境にはない子女たちもいるようなのだが)。
久夏もそれを利用して数か月ぶりに実家へと戻ってきていた。
「彩樺さん、卒業したんだって?」
「そうなの~、だから来年からは私も『妹』を見つけないといけない立場になるんだけど……」
父方親戚との揉め事が解決したことですっかり肌色もよくなった母親とそんな会話を交わしていると、祖母に電話だよと呼ばれた。
誰からかと聞くと「如月さん」と答えられて噂をすればってやつかな? などと思いながら「はい、久夏です」と応答すると「突然すまないな」と男性の声が返ってきて思わず姿勢を正す。
「は、はい! だいじょうぶです! ご用件はなんでしょうか!」どうみても緊張した対応だったからか、受話器の向こうでため息をつかれたような感じがしたけれど
「……こちらの環境の変化について伝えたいことがある。手間をかけるが、こちらまで来てくれないか」と言われたので
「わかりました。うちからだとちょっと遠いので時間かかりますけど」
「構わない。最寄り駅に着いたら公衆電話からその旨を連絡してくれ。それでは」
用件だけを手短に伝えて通話は終了する。
「ちょっと出かけてくるー。帰りは遅くなるかもだからご飯は先に食べててー」と居間のほうに伝え、急いで準備をすると家を出る。
それからしばらくモノレールとバスを乗り継いで、電話連絡を入れて閑静な住宅地にある如月家へと到着した。呼び鈴を鳴らして向こうで応答する音があったので「こんにちは、八ツ橋です」とこちらから先に答えた。
如月桧斗:「いらっしゃいませ、久夏お嬢様」
久夏を迎えたのは、顔馴染みの如月家の執事だった。
「お好きなケーキも買ってきてありますよ。桧斗さまから久夏さまが来られると聞いていたので」
玄関ホール脇の客間ではなく、家の奥の庭が見える大きな部屋に案内される。そこは何度となく彩樺と訪れたことがある部屋で、兄妹がくつろいだ時間を過ごす時に使われる場所だった。大きな窓から、やわらかな春の日差しが差しこんでいる。
「意外と早かったな」仕事に集中していたわけではなかったのか久夏が来たことに気づいたようで、すぐに如月が部屋に現れた。
仕事から帰ったばかりというわけではなさそうな、比較的リラックスした格好だった。「お茶を淹れてまいりますね」と言って、執事は部屋を出ていった。
八ツ橋久夏:執事が扉を閉めたのを確認してから久夏は姿勢を正して「お久しぶりです、先生。環境の変化ってなんでしょうか?」と尋ねた。
わざわざここまで呼びだしてきたのは、電話やメールで伝えにくい案件だからなのだろう。
如月桧斗:「いや、特に久夏に直接関わる話ではないが」
妙に緊張した様子の久夏を見て、やはりわざわざ呼び出すべきではなかったか少々後悔する。
「しばらく家を空ける。彩樺には知らせていないし連絡も取れないので、彩樺が戻ってきたら伝えてもらおうと思っただけだ」
八ツ橋久夏:「ああ……」現在どこにいるのかもわからない彩樺さんのことを思い出して軽く頭を抱える。
「なるほど。伝言役ってことですね、わかりました。お引き受けしましょう……あの、家を空けるってことは先生もどこかに行くんですか?」
如月桧斗:「いや、大学にこもるだけだ。いつ帰ってくるかはわからないし、非常時以外は連絡もできないと思ってくれてかまわない」
執事が入ってきて紅茶ポットとケーキをテーブルに載せると、そのまま何も言わずに出ていった。
「わざわざ呼び立てるほどのことではなかったか。まあせいぜいケーキでも食べていってくれ」
ケーキを彼女の方に押しやる。自分は執事が淹れていった紅茶をひとくち口に含み、彼女の方を見やった。
八ツ橋久夏:執事が置いていってくれた、スポンジの中にクリームとともに季節のフルーツが挟まっているケーキに思わず顔が緩んでしまう。あまり多くは来訪していないのに好みを的確に把握されているのがいささか気恥ずかしくもあるのだが。
「ありがたくいただきます!」
そういってひと口頬張ると見た目の通りほどよく甘くておいしい。大事にその感触を楽しんでから
「おいしい~……、じゃなくて、先生はなんで大学にこもることにしたんですか? 研究自体は家でもできるって言ってたじゃないですか」と疑問を口にした。
如月桧斗:お気に入りの店のザッハトルテをつつきながら「大方はな。だが大学内でしかできないこともある。彩樺も独立したことだし、久夏も十分大人だ。そろそろ自分の好きなことをさせてもらってもいいだろう」
たんたんと告げた。そういえば彩樺抜きで久夏を話す機会は今までほぼなかったと今更ながら気づく。
八ツ橋久夏:「なるほど……」確かに先生の好きなことを邪魔する権利はないのだけれど、寂しく感じてしまうのはなぜだろうとケーキをもうひと口食べながら考えて、先生に対してはで出会った頃の気持ちのまま接しているからではないかと気づく。
たぶん大人にはなりきれていない。ケーキをもうひと口食べた。
如月桧斗:先ほどまではケーキを頬張り笑顔だった久夏の表情が変わるのを見る。さすがに彩樺と自分の両方が同時に去るのは、彼女にとっても支えがなくなったようで、ショックなのかもしれない。
「また何か親戚が揉め事を起こしたら、以前頼った弁護士に連絡すればいい。彼にはきちんと伝えておくから」
八ツ橋久夏:親戚という言葉にむぐ、となる。
「確かにここ数年は音沙汰ないんですけど、こないだ新聞で曾祖父が亡くなったって目にしたんですよねえ……」亡くなったことも記事になるくらいには著名な政治家だったらしい。
「まあ、親権を取れっていったのも曾祖父主導だったって資料にありましたし、たぶんもう
こちらに飛び火は…しない…んじゃ……ないです…か……ね?」
しかし百パーセントそうともいいきれず、語尾がだんだん小さくなってしまった。
「も、もしなにかあったら弁護士さんにはまた遠慮なくお世話になります!」そう力強く返してケーキをまたひと口食べる。
如月桧斗:「まあ、用心しておくに越したことはない。悪人は思いもかけないことをやらかすのが常だ」
紅茶をすすりつつ彼女の様子をうかがう。この調子ならおそらく自分がいなくても大丈夫だろう。
「彩樺から連絡がきたら、俺が家には戻らないことを伝えること。あとは彩樺が帰るまで、たまにこの家の様子を見にきてくれるとありがたい。頼まれてくれるか?」
八ツ橋久夏:次に彩樺さんと連絡取れるのはいつだろうなと若干遠い目をしつつ「頼まれますけど、どのくらい戻ってこられないんですか?」と聞いた。
如月桧斗:「さあな。年単位だと思っていてくれ」
最果ての塔に入ると、よっぽどのことがないと生きてでることは叶わないと、久夏に正直に告げることはできなかった。
「今日で最後だ」
八ツ橋久夏:「今日で最後ってどういうことなんですか!」
聞き捨てならない言葉が先生の口から出た瞬間、思わず叫んでしまった。ここがシトラだったら即座にとがめられているところだ。
如月桧斗:「あ、いや…」嘘をつくこともごまかすことも苦手であった。何か言おうと口を開いたが、何を言っても空虚に聞こえることに気がついて黙ってしまう。
八ツ橋久夏:「まったく。……わたしを子供扱いしないと決めたんなら、そのへんの理由もちゃんと仰ってください」そう言って少し口をとがらせる。
如月桧斗:彩樺の、兄さんはなんでもひとりで決めるんだから、という言葉が脳裏に蘇る。そのたびたびに意思は確認してきたつもりだったが。
「いったんその研究を始めて引きこもったら、そう簡単には出てこれないというだけだ。シトラの新学期も、すぐに始まるだろう。お互い会う機会は、もうそうそうないと思った方がいい」慎重に言葉を選んで答える。
八ツ橋久夏:「確かに新学期はじまったら滅多なことでは外出できないですけど、先生の場合はまた事情が違いそうな……?」
そうは言っても先生が明かしてくれなければ判断できないわけだが。
「まあ、いいです。わかりました。……手紙くらいはそちらに送れるんですか?」
如月桧斗:「公式のメールアドレスは使えるはずだが?」
そう答えたところで、不意に違和感を感じた。囁き声がどこからか聞こえる。
「あなた方の力を貸してください。何者にも穢されない、強き願いの力を貸してください...」
ステラナイツ、女神たちに選ばれし伝説の騎士たちについての知識が脳に流れ込む。話には聞いたことがあり、それについて記された書物も何度か読んだことがあるが、今までは半信半疑だった。
伝説ではなく、事実だったのかと、頭を抱える。
八ツ橋久夏:先生が頭を抱えているところを見ると、この囁き声が聞こえているのはわたしだけではないようだ。流れ込んできた知識から女神からのものだと解るその声はなおもこう続けた。
「ステラナイツとなったペアには戦闘の先触れを連絡する手段として手紙の交換も用意されており、それは何人にも邪魔されません」
「戦闘に入ったとき、ブリンガーとシースはどこにいても必ず巡りあうことができます」
……それはまるで、これから本当に先生とはよほどのことがないと会えないことを突き付けられているかのようだった。
「同じ願いをその胸に抱く者たちよ、どうか力を貸してください……」
女神の声が徐々に掠れていく。正直なところ、願いが同じというのはよくわからないけれどこの声には従ったほうがいいという直感があった。
「……力を貸します!!!」わたしはそう力強く宣誓した。視界の隅ではますます頭を抱えた先生がいた。
如月桧斗:深くため息をつく。女神に世界の危機に力を貸せと言われたら、断ることはできない。しかも久夏が既に宣言してしまっている。
「わかった。力を貸そう。それがこの世界を守るためならば」
八ツ橋久夏:「ありがとう」その声とともに更なる知識がながれこんでくる。それには先に言われた手紙による連絡の方法も含まれていた。
やがてすべてがこちらに伝わったことを確認したかのようにその存在感は消えた。
「……えーと、いきおいで宣誓しちゃいましたけど、すいません……」わたしは先生に謝った。
如月桧斗:眼鏡を外し片手で顔を覆い、深く深くため息をつく。しばらくして眼鏡を掛け直し久夏の方をまっすぐに見つめると
「世界を守るために力を貸せと言われて、断れるわけがないだろう」と憮然と返事をした。
八ツ橋久夏:「そ、それはそうなんですけど! なんか今度は先生から圧を感じます!!!」
とはいえ、世界の守護のために手を貸すことで先生と確実に連絡できる、そして限定的とはいえ会える確約を持てたことは幸いである気がする。
宣誓のときに立ち上がってしまっていたわたしは気を取り直してソファに座り直すと、食べ終わったらそそくさと退散しようと決めてケーキを再度ひと口頬張った。
如月桧斗:「おまえ、もしや喜んでやないか?」あまりのことに、声が少々荒くなってしまっているのを自覚した。
「世界の命運を背負って戦うんだぞ。しかも戦場に立つのは、俺ではなくおまえだ」逆ならまだしもと思うものの、この決定が覆ることはないらしい
八ツ橋久夏:「別に喜んでませんし、先生よりは体力ありますから大丈夫ですよ!!」
そう言いながら胸をはる。いつもの先生の調子が戻ってきたことに内心安堵しつつ、紅茶を大事にいただくと最後のひと口をほおばると、スポンジとクリームに包まれた白桃の甘味がじんわりと口内に広がった。
如月桧斗:大きくため息をついて天を仰ぐが、体力には確かに自信がないので、言い返すことはできなかった。
平常心に戻ろうとケーキの最後のかけらを口に入れ、ゆっくり味わってから、改めて口を開く。
「もし決闘場に呼ばれるようなことがあれば全力を尽くせ。俺のことはどうでもいい。優先順位を履き違えるな。世界が滅びたら、所詮、全てが終わるのだから。」
もしと言ってはみたが、時を待たずに近々呼ばれる予感はあった。
八ツ橋久夏:「言われなくてもそうしますよ! 自分の都合で世界滅んだら困りますもん!!」
ごちそうさまと手を合わせて立ち上がる。「彩樺さんへの伝言と、こちらへ時々様子を見にきてほしいという用件は確かに承りました。で、その連絡は『手紙』を書くついでにすればいいですよね?」
如月桧斗:「ああ、それでいい」今日で最後の別れのつもりだったが、完全に予想外の展開である。それが良いことなのか悪いことなのかは未だわからないが。
「あまりシトラで羽目を外さないように」次に会うのはおそらくステラナイツとしての戦いの直前だろうが、あえて口に出すのははばかられた。
八ツ橋久夏:「はーい。引き続き淑女に相応しい行動ができるよう心掛けます」そういや『姉妹』としてやっていけそうな人を見つけなければいけないのだった、と思い出してなんともいえない顔になってしまう。
「それでは先生、今日はお招きありがとうございました。ごきげんよう」
如月桧斗:「いや…」思いがけないアクシデントのせいで、結局なんでわざわざ呼び出したのかよくわからなくなってしまった。
「では、また」次は戦いの前に会おう、という言葉は飲みこんで、部屋から出ていく久夏を黙って見送った。
監督: ……と、そんな過程を経て生まれたペアの花章である薄緑のアイリスはいま、願いの決闘場で歪な一輪の花を咲かせている。
これがなにを意味するかは幾度も剣を取った者なら知っているだろう、と女神や誓約生徒会の総帥は夢を通してあなたたちに語りかけた。それは起きたいまも記憶に残りつづける。
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《第二章》2~キア・レッドグレイヴ/サラ・ジェファーソン 序
キア・レッドグレイヴ
-------別に最初からアイドルになりたかったわけじゃない。世界を救うヒーローになりたかったわけでもない。
それでも、彼は自分が売り出し中のアイドルでかつステラナイツであるという今の状況を大変気に入っていた。
あの、かび臭くて昏い屋敷での、大勢の使用人に囲まれた吸血鬼の王の後継としての日々はとても気が滅入るものだったから。
吸血鬼の一族の王である父は美しくて有能で完璧で、息子の自分から見ても申し分ない王であったが、だからこそである。
自分は知っていた。
なにかよっぽどなことがないかぎり、自分が父の後を継いで王になることはない。
なぜなら父は不死なる者(イモータル)だからだ。
父は純血の吸血鬼である。自分の母はただの人間だったと聞いた。なぜ吸血鬼の高貴なる覇王である父が人間とそういう関係になったのかは、自分には全く想像ができないことだっだけれど、でも結果として生まれた自分は吸血鬼としては半人前であり(それでも大多数の吸血鬼よりも血は濃いと、執事の爺はいうのだ)、魔力の行使にも大量の血の供給が必要で、つまりはそもそもの魔力量が足りないのは明白であった。
屋敷でぼんやりと日々を過ごしていた自分に失望したのだろうか、父は自分をアーセルトレイという異世界に送った。そこの聖アージェティアという高校で勉学をしつつ見聞を広めろということであったが、学生としての生活はあの故郷の屋敷での生活とたいして変わるわけではなかった。自分の好きなものを見て楽しむという、ほんの少しの自由は確かに手に入れたのだけれど、学校には毎日通わなければならなかったし、人間族以外の隣人に対するそこはかとなくよそよそしい空気も察していたから、たいして親しい友人ができるわけでもなかった。
それが一変したのは、あの時だ。
初夏の風が気持ちよかったのを覚えている。
あんまり外がきれいに晴れていたから、お気に入りの木の上で昼寝をしていた。
音がしたのでちらりと何気なく下を見ると、見たことのない女性が歩いている。
制服を着ていないのでここの学生ではないだろうし、見覚えも全くなかったのでここの教師というわけでもなさそうだった。
美味しそう。
この世界に来てから全く感じることのなかった血への飢えの感覚が、なぜか猛烈に刺激される。
彼女の白い首筋に牙を突きたてて、思いっきり新鮮な血を吸いたい。
彼女は処女だろうか。そうでなくても、ここで魔術の行使をする気はないから、別にかまいやしないのだけれども。
「君、なんで木の上にいるの?落ちたら危ないじゃない。」
じろじろ見ていたら、さすがに気づかれたようだ。ふわりと木の上から彼女の前に飛び降りて音も立てずに着地する。
「おねえさん、誰?」
彼女はあっけにとられた顔をして、こちらを見つめた。
瞳の色が普段の青から地の色の赤に変わっているのは、自分でもわかっていた。獲物を狩る捕食者の目をしていたのかもしれない。
一瞬彼女はためらう。そして、
「......え、ええとね?君、アイドルになる気はない?」
「......あ、あいどる?」
あまりにも予想外の反応に、声が裏返った。
「君、かわいいし、運動神経も良さそうだから、けっこうむいてると思うの。ねえ、うちの事務所のオーディションを受けてみない?」
毒気が一瞬にして抜ける。飢えは全くおさまっていなかったのだけれど、さすがに彼女を無理やり襲ってどうこうする気は全く失せてしまった。
「うーん、そうだねー。おねえさんが僕に血をくれるんだったら、それもいいかな」
「そうね。うちの事務所のオーディションに受かったら、考えてあげてもいいわよ」
強気な言葉と自信ありげな視線。自分が吸血鬼であることはわかっただろうに、この人はとことんそういうところには鈍感なのかもしれない。
でもアイドルになるためのオーディションをうけるというアイディアには、とても興味を引かれた。この退屈な日常を打ち破るよいきっかけになるかもしれないし、それにごほうびに血も少しは吸わせてくれるみたいだし。
そこまで考えて、そして彼女ににこりと微笑んで答えを返す。
「わかった。じゃあ、それで決まりね。僕の名は、キア・レッドグレイヴ。おねえさん、これからよろしく。」
それが2人の運命を決める出会いになるとは、その時点では彼女も自分も気づいてはいなかった。
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サラ・ジェファーソン
「自分に見切りを付けました。アイドルになるのを諦めます」
そうプロデューサーに告げたとき、私はどこかすっきりとした気持ちでいた。
長い間……そう、子どものころから夢見ていたアイドルという職業。舞台で歌い、舞い踊り、演じる姿をたくさんの人に見てほしくて、自分を認めてほしくて必死に足掻いていた。研修生としてはかなりの好成績で、興行的に稼げるだろうアイドルに育ちつつあった私と仲間たち。しかし櫛の歯が抜けていくように一人また一人とメンバーが脱落していった。夢と現実、年齢と需要、様々な要因が絡んで結局夢にまで見た華々しいデビューは立ち消えになった。私の歌は正直グループの中で群を抜いていた。それがまた、足並みの乱れるもとでもあったのだけれど。
「一人で、デビューをしてみないか? 18歳というのはアイドルとしては確かに微妙な年齢だが」
事務所側からそう声をかけられ、グループ解散後は一人でいくつかの舞台に立った。興行的にはまずまずで、大きな舞台にも立てそうな気配はあった。無理を言って大学にも通った。夢は潰えていないと思いたかった。
自分が手を伸ばしたい夢は遠くにある。まだまだ足りない、満たされない。誰よりも高く遠くへと駆けていきたい。そう欲を出して足掻いて足掻いて。
……結局、スターにはなれなかった。
大学を卒業すると同時に、アイドルとして本格的に活動するはずだった。それでも間に合うと信じていた。でも、鳴かず飛ばず。
歌は評価されていた。容姿もそこそこ。けれど決定的な華がなかった。内からあふれ出るような大輪の花は、私には咲かすことができなかった。1年足掻いて23歳、とうとう数枚の楽曲集を残して私は表舞台を去った。
「サラの才能は正直惜しい。この世界を良く知っていて、歌のトレーニング側もできる。何よりマネージメントに向いていると私は思うのよ。……事務所に残って、育てる側にならない?」
社長からの直々の声に、驚いたのは私だけだった。それまで私を担当していてくれたプロデューサー達も大きく頷いて「君にはこの世界が向いていると思う。支えてくれるなら、これほど心強いものはない」と太鼓判を押してくれた。
「ただ、これは君の志と今までの努力を思えば、馬鹿にしていると受け取られかねない提案だとも承知している。それでも、我々は君をもう一度スカウトしたい。」
そこまで言われて頷かないわけがなかった。実際、自分は今までも後輩たちの面倒を何かと見てきており、たとえば歌の指導などはもちろんボイストレーナーは別にいたが、彼らの助手的なことも始めていたのだ。思えばそれは運営側の配慮だったのかもしれないけれど。
私は、ありがたくその話を受けた。職に就くつもりはあったから、渡りに船だったかもしれない。
そうして舞台を降りた私には、アイドルたちのマネージメントから芸能プロダクションの事務、雑用まで、多忙な日々が待っていた。転向当初、元同業者や後輩たちにはどこか哀れみや小馬鹿にしたような視線を向けられたりもしたが、私は気に留めなかった。現場にいたからわかる空気、物事の流れ、大人の視点の必要性、様々な暗部にも触れたけれど、後輩たちを盛り立てる仕事は全く苦にならなかったからだ。
そのうちにマネージャーとしての私が認められるようになってきて数年。仕事が面白くてたまらなかったある日のこと。私は母校である聖アージェティアを訪ねることにした。アイドルのスカウトを兼ねた、恩師訪問だった。
風の心地よい日だった。くせのある髪が風にもてあそばれて、首筋をさらけだすほどに舞いあげた。
その時だった。風に踊る髪を押さえた瞬間、ぞくりとしたものが背を走ったのだ。それが視線だと気づいたのは、悪寒をもたらしたものの方向を辿ってふと見上げた構内の木の枝に、自然体で憩う少年を見つけたからだ。
「君、なんで木の上にいるの?落ちたら危ないじゃない。」
視線は本能的に危険を感じるものだったが、同時に甘美な何かを約束された気もしていた。初めての感覚に戸惑いながら少年に声をかけてしまったのは、その誘惑に耐え切れなかったからかもしれない。
少年は、ふわりと優雅に木の上から飛び降り、音も立てずに着地する。その動きの優美さ、しなやかさは天然の捕食者……例えば大型の肉食獣さえも連想させた。
「おねえさん、誰?」
問いかけてくる少年の瞳は見事な赤だった。”隣人(ネイバー)”なのだろう、ととっさに判断がつくほど美しく優雅で危険な香りのする存在に、私は打ちのめされた。と、同時に心の奥底から湧き上がる衝動に驚いていた。
(この子、綺麗だ。うちの事務所に欲しい)
彼の誰何の問いに名を告げるのももどかしく、私が発した言葉はあきれるようなものだった。
「……え、ええとね?君、アイドルになる気はない?」
「……あ、あいどる?」
「君、かわいいし、運動神経も良さそうだから、けっこうむいてると思うの。ねえ、うちの事務所のオーディションを受けてみない?」
言葉を紡ぐたびに熱がこもっていくのが自分で分かった。彼の赤い瞳を見据えても揺らぐことのない何かが、私の体の奥からあふれ出てくる。少年は私に向けていた捕食者の舌なめずりにも似た気配をぷつりと断ち切って、眉を下げ、神秘的な色合いの瞳を向けてきた。
「うーん、そうだねー。おねえさんが僕に血をくれるんだったら、それもいいかな」
ああ、やはりこの子は”隣人”なのだ、それも吸血種の。そう分かった。彼の言葉はとても冗談には聞こえず、本気で取引を申し出ているのが伝わってきたからだ。だから私も本気で応じる。私の血くらいでこの子を押さえられるなら、安いものだ。なぜなら。
「そうね。うちの事務所のオーディションに受かったら、考えてあげてもいいわよ」
「わかった。じゃあ、それで決まりね。僕の名は、キア・レッドグレイヴ。おねえさん、これからよろしく。」
なぜなら私には、この子の華、それもとびきり大輪の華が、見えた気がしたのだから。
そして、その予感は現実となった。
彼を事務所に案内して、上司たちに紹介する。彼らも好感を持ってキアを受け入れた。オーディションの詳細を話しながら実際の業務を紹介していく途中に、その瞬間は訪れたのだ。
「あっ、うさぎのぬいぐるみ!」声を上げて駆け寄り、置いてあったぬいぐるみを抱き上げた彼を見た瞬間、何かがかちりとはまった気がした。
「ねえ。キア、あの衣装どう思う?」
指さしたのは、女性アイドル用のピンクを基調としたワンピースだった。ぐるぐる、かちかち、と頭の中でパズルのピースがはまっていく。
「えっ、どの衣装?」
彼は首をかしげて私の指さすほうを見やり、次の瞬間歓声をあげた。
「かっわいい! すっごいね、これ。キラキラふわふわしてて、ライトに映えそう!」
私は笑みをこらえるのに必死だった。
「そのぬいぐるみと色合いといい、相性よさそうよね……何なら着てみてもいいわよ? うさぎのぬいぐるみ持って写真撮ってみる? 今そういう服しかないけど、アイドルなら写真映えする色を知っておいたほうがいいだろうし。キアは肌が綺麗だからそういう色も似合う気がするのよね」
カラーコーディネートは得意だ。彼の肌色と瞳……今は青になっているが……にもそのピンクは良く映えた。問題は彼が女性の服を受け入れるかどうかだが。
中性的な魅力を醸し出せるアイドルになるのではないかと、私は期待したのだ。無理にとは言わない雰囲気で彼をちらりと見ると、頬に柔らかな紅を刷いたような艶やかな表情で、私に頷いて見せた。
「着る! 着てみる! とーっても可愛いねこれ」
衣装を持って更衣室に入った彼が出てくるまで、まるで恋人の着替えを待つような気分で私はときめいていた。何かが起こりそうな予感が、胸を揺さぶっていた。
「おまたせー。どう? 我ながらすんごく可愛い気がする」
「か、かわっ……最高よ……キア!」
制服のブレザーを脱いで、髪をおろしたまま化粧もしていない彼が、衣装をまとって更衣室から出てきた瞬間。私は柄にもなく言葉を失った。
私の動揺をよそに「ふふーん、やっぱりー?」と上機嫌な彼の手をひっぱり、メイク道具を広げて簡単なポイントメイクだけを施す。紅を差しただけで、見違えるほどに美しくなり、アイメイクの筆ひとつであか抜けていく彼を、たぐいまれなる芸術品を扱うような手で触れること十数分。
そこには、春の宵を統べる女神がいた。極上の、大輪の華を咲かせた女神が。
私はその瞬間、見つけたのだ。まばゆく輝く宝玉、世界を従わせる王のごとき華を。
「わぁーお! これ、僕?」
鏡をのぞき込んで目を見張る彼の手を恭しく取り、事務所の社長に引き合わせる。社長もスタッフも、一瞬無言になるほどの美しさ、圧倒的な華を見せた彼は、オーディションをすっ飛ばしてその場で合格、そのままわが事務所のアイドルとして登録される運びとなったのだ。
そして、彼のマネージャーとして私が任じられ、改めてその手を取って握手した瞬間。
本物の女神の声が私たちの耳に響いたのだった。
「高く遠く、どこまでもどこまでも行きましょう。あなたならできる。宇宙一のアイドルとして、私が羽ばたかせて見せる」
「もっちろん一緒に行こう。頂点に立ったその暁にはサラの血をたっぷり分けてよねっ」
その誓いと願いは、女神にすら届くほどだったのだと、自負している。ステラナイツであることは私の喜び。シースとしてキアを守り飾り輝かせる手伝いをするのは私の使命。なるべくしてなったのだと思えるこの出会いを、私はどんなことよりも誇りに思う。
だから、きっと、これは私の天職だ。
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