《間奏》
「鷲爪(アクィラ)卿、いますか?」
「陛下、ここに」
桜の君の穏やかな呼び声に答えて、どこからともなく黒の軍服を着た人物が立ち現れ、彼の前に膝をついた。
若き皇帝とほぼ同じくらいの年恰好である。黒い短髪で、男か女かは外見からはそう簡単には判別がつかないが、よくよく見れば女性であることはわかるだろう。
皇宮警察の軍帽の下から端正な顔立ちがのぞいていた。
「そろそろ頃合いかと思ってね」
「はい」
「鷲爪(アクィラ)卿、これを」
彼女に手渡されたのは赤い色の錠剤。
彼女は壊れ物でも扱うように大事そうにそれを受けとると、即座に、かけらのためらいも見せずに口に含む。
「ありがとうございます」
ごくりと錠剤を水もなしに飲みこんだ後に彼女はそう答え、青年の前に再び頭を垂れた。
「...私の願いはてっきりお忘れになったのかと」
「まさか。紫苑の願いを僕が忘れるわけないじゃないか。少し遅くなったのは、色々事情があってね。それに関しては、許してくれるとありがたいな」
皇帝と呼ばれる青年は、彼女に微笑みかけた。
「君がこの世界に現れた日のことを、僕は昨日のことのように覚えているよ」
そういうと彼は細い眉をしかめる。
「...君の話を彼女も聞くべきだと思うんだ。」
「女王様が陛下の御意志を理解してくださることを望みます」
彼女は一瞬だけ顔をあげ、そう生真面目に答えた。
「手遅れにならないうちに世界を幸福の内に終了させる。
我が民を守るために。
僕の桜の帝都は、君たちの世界のようにロアテラの餌食にはさせない」
「...すべては陛下の御心のままに。必ずや王命を叶えてご覧に入れましょう」
そう居住まいを正して答えた彼女に、若き皇帝は、最後にうつくしい世界をもう一度見にいくのもいいんじゃないかな、と柔らかく笑いかけた。
*****************************
《第二章》1
ティア・ヴァイル:知らない誰かと誰かがどこか穏やかでない雰囲気の話をしている夢をみたそんな朝。ティアはいつものように準備をして職場である図書博物館の分室へ向かった。職員用入口を通っていくとウィリアムがいたので「おはようございます」と声を掛ける。
ティア・ヴァイル:そうすると彼はにっこり微笑んできた。
ウィリアム・ドウェイン:「おはよう、ティア。突然のことで申し訳ないんだけれど、今日は午後の休みを申請しておいてくれないかい? ちょっと行きたいところがあるんだ」
ティア・ヴァイル:そう唐突に返してきた彼に多少面食らったが、そういえば最近はあまり積極的に休暇を取っていなかったなと考え、頷いて肯定した。
ウィリアム・ドウェイン:「待ち合わせは前に教えた貸本屋さんでいいかい?」
ティア・ヴァイル:「わかりました。それではお昼の鐘が鳴ったらそちらに向かうようにします。それでは」
ウィリアム・ドウェイン:「うん、よろしく」
ティア・ヴァイル:笑顔を絶やさぬままウィリアムは去っていくティアを見送っている。とりあえず今日最初の任務は休暇の申請からということになりそうだ。
ティア・ヴァイル:そして今日も修繕作業の続きをしていると、外から昼の鐘が聞こえてきた。所定の位置に道具と修繕中の本を戻して、昼食を取る職員たちに紛れて分室をあとにする。
ティア・ヴァイル:ウィリアムの教えてくれた貸本屋は老夫婦が経営していて、分室で新しく複製が作られて不要になったものが下ろされた書物や、市井の人々が個人的に綴った小説などが製本されたものがある。
ティア・ヴァイル:いわゆる価値が少し落ちたものや、まだ分室に納められるほどではないものを多く扱うそこは商店街からも外れたところにひっそり建っているため、人目を気にしなくていい待ち合わせにはもってこいの場所でもあった。
ティア・ヴァイル:「あら、いらっしゃい」
「こんにちは」
ティアが店内に入ると、上品な印象の老婦人がにっこりと声を掛けてくれた。
「あちらの棚に、この間借りていってくれた作品の新作が入っていますよ」
「え、本当ですか」
「ええ。よければ借りていってくださいね」
「ありがとうございます」
ティア・ヴァイル:ティアは礼を言って、そそくさと該当の棚へ行く。同じシリーズの本のなかに、見た事のない表紙があった。若干浮き足だった気持ちでいたところに、いつもの笑顔で声を掛けてくる人物があった。もちろん、ウィリアムだ。
ウィリアム・ドウェイン:ウィリアムはティアに柔らかな笑顔と声音をもって近づいた。「やあ、お待たせ。休暇は取れたね?」
ウィリアム・ドウェイン:彼女が頷くと、手にした荷物を指さし「これをゆっくり楽しむのに、もってこいの場所があるなと思ったんだ。往復の代金は出すから付き合ってほしい」
ウィリアム・ドウェイン:そういって彼女がついてくるのを確認すると歩きだした。歩幅は彼女のそれに合わせているが、どことなく浮き立ったものを感じる。やがて着いたのは飛行船の乗り場だった。
ウィリアム・ドウェイン:「じゃ、行こうか。桜の帝都で降りしきる花を見ながら昼食と洒落こもう」柔らかな笑顔で彼は言った。
ウィリアム・ドウェイン:飛行船はするすると上昇して、いつの間にか天地が逆転した。普段霧の時計塔を経て円形広場へと赴くふたりにとって、逆に新鮮な光景がそこには広がっていた。
ウィリアム・ドウェイン:船内に広がるどよめきの主たちとは別の感慨を持ちながら、彼らは桜の帝都の船着き場に降り立った。
ウィリアム・ドウェイン:何とも言い難い表情のティアを連れて、ウィリアムは先を歩く。地図を片手に、目指していた先は桜の花が降りしきる公園だった。
ウィリアム・ドウェイン:「どうせお茶を飲むなら、誰の目も気にせずに羽根を伸ばすのもいいだろう? この公園の奥なら、人もあまり来ないらしいし、ゆっくりできる」
ティア・ヴァイル:飛行船で桜の帝都にやってきたのは久しぶりだった。まだ霧の帝都の中央に出てきたばかりの頃、従兄が信用できる知人と引き合わせるという名目で連れてきてくれたのだ。
ティア・ヴァイル:そのときとは季節が異なっていたが、同じように桜が咲いていた。ウィリアムについて歩いていくと、よりたくさんの桜が咲き乱れている。
ティア・ヴァイル:公園に辿りついた。ウィリアムの言葉に頷いて「ええ、そうね。……連れてきてくれて、ありがとう」と礼を返す。彼はまたにっこりと微笑んで地図を見ながら再度先に歩いていく。
ティア・ヴァイル:
どんどん奥へ進んでいくとやがて柔らかな光が射し込みながらもひと気のない、落ち着いた空間に出た。まるで特等席のようだ。
ティア・ヴァイル:「静かでいい場所ね。……フードを取っても、いいかしら」ティアは机のうえで荷物の中身をひろげはじめているウィリアムに尋ねた。
ウィリアム・ドウェイン: 荷物を広げる手を一瞬だけ止めて彼女をみやり、微笑んでみせた。
ウィリアム・ドウェイン:「いいと思うよ。君が望むように寛いでいいに決まってるさ」彼女の耳や瞳がありふれたものではないことは知っている。それを自分の前でさらけ出してくれることをウィリアムは幸せだと思った。
ウィリアム・ドウェイン:「今日のスコーンは自信作なんだ。サンドイッチもなかなかの出来栄えだよ」
茶を注いで彼女に差し出す。スコーンとサンドイッチを盛りつけた箱を開け放つといかにも空腹を刺激する香りが漂った.
ウィリアム・ドウェイン:力作を振る舞うなら美しい場所がいいと思って、ここまで来てもらったんだ」
自身も茶器を手にしてベンチに腰掛けると、皿を手渡しながら少し躊躇いがちに切り出す。
ウィリアム・ドウェイン:「食べ物を前にいうのは何だけれど、昨日違和感のある夢を見た。あれは……天啓だったんだろうかとも思う。ティアは、何か夢をみたりしたかい?」
ティア・ヴァイル:いいと思うと云う言葉に甘えて、ティアはフードを脱いで長い耳を解放する。とたんに桜の花びらが地上へと舞い降りて行く音が大きくなったが、むしろ心地よく感じた。
ティア・ヴァイル:ウィリアムの自信作と言うスコーンの匂いは、空腹をいっそう刺激した。サンドイッチもとても美味しそうで、確かにここで食べるとより美味しくいただくことができるだろうと納得する。
ティア・ヴァイル:差し出された茶器を受け取ってベンチに座ると、ウィリアムもそれに続いていた。
ティア・ヴァイル:切り出された夢についての言葉には「夢……わたしも、見たわ。知らないふたりが、言葉を交わしていて……その内容はよく覚えていないけれど、なにか……赤いものを渡されたほうは、それをすぐに飲んでいて……それが不思議と印象に残っているわ」と返して、紅茶を口に含んだ。
ウィリアム・ドウェイン:ティアの言葉に唸る。「僕も全く同じ夢を見た。ミストナイトゆえの何かを見たのかなと思ってはいたけれど……どうやらそのようだね」
ウィリアム・ドウェイン:ふと彼女の視線に気づいて「いや、今はそのことはおいといて、食事にしよう」少しぎこちなく笑って2種類のスコーンを更に取り分け渡した。
ティア・ヴァイル:礼を言って受け取った皿から二種類のスコーンの匂いが混ざりあって鼻腔に届いて、どちらから食べても美味しいのだろうということが伝わってくる。
ティア・ヴァイル:まずドライフルーツが入っているらしき方をいただいてみる。「いただきます」外はサクサク、中はふんわりな生地にベリー系のフルーツがとても良く合う。
ティア・ヴァイル:「美味しい」ティアは素直な感想を口にした。もう片方はわずかにオレンジ色がかっていて、においからたぶんあの野菜だと解ったのたが、食べてみるとほんのり甘い味がして、にんじんが混ざっていることを気づかせない。
ティア・ヴァイル:「すごい……」こういう野菜のとり方があるのに感心してしまう。
ウィリアム・ドウェイン:
彼女の感想に目を細める。自分も口に運んで、焼き立てでなくても美味しいな、と満足した。「ティアが喜んでくれるならまたいつでも焼くよ。リクエストもしてくれ」
ウィリアム・ドウェイン:サンドイッチも差し出して「アボカドのサンドイッチもどうぞ。熟したのが手に入ったから、美味いと思う」
ウィリアム・ドウェイン:サンドイッチは海老とアボカドの食感、ホースラディッシュの混ざったソースのアクセントが我ながら絶妙だと気を良くした。食べながら、ひらひらと舞う花弁に目を止める。
ウィリアム・ドウェイン:「霧の都も花の都もそれぞれいいものだね」テーブルに落ちた花弁をつまみあげながら茶を口に含んだ。
ティア・ヴァイル:差し出されたサンドイッチもまた絶妙なバランスの味わいだった。料理を作るということに対しての積み重ねがそのまま形になっているのだろう。
ティア・ヴァイル:あまり食に拘りのないティアがその恩恵に預かるのはいささか申し訳ない気もするのだが、美味しいものは美味しいのでそのままいただいてしまう。
ティア・ヴァイル:こうして落ち着いた時間を過ごす間にも花弁の舞うさざめきは止まない。けれどそれが気に障らないのは、美味しい食事とすぐ近くで笑顔を見せてくれるウィリアムのおかげなのだろうと思う。
ティア・ヴァイル:そうね。あちらも、こちらも……それぞれ、違った良さがある」そう返したとき、ひときわ大きな風が吹いた。
???:「いい匂いにひかれてきたのはいいけれど、これはお邪魔だったかな」突然どこからともなく現れたのは、軍服を来た品の良い青年だった。
???:その肩からかけられた桜色のサッシュと金色の飾緒から、一見して身分の高い人物だということがわかる。後ろには黒の軍服を着た警官がひとり、つき従っていた。
???:「そのスコーン、とても美味しそうだね。手作り?それとも、この近くのベーカリーで買ったのかな?」
???:「...陛下」その反応を軽く諌めるように、おつきの警官が青年に低く声をかける。
ウィリアム・ドウェイン:唐突にかけられた声に驚いて、その声の主の方を振り向くと、秀麗でいかにも身分の高い人物が微笑みを浮かべて立っていた。供と思しき人物がひとり。目立たぬように街歩きをしていると伺えた。
ウィリアム・ドウェイン:誰だろうかと首を傾げつつ「こんにちは。これは僕が焼いたものです。まだあるのでよかったらそちらの方とご一緒に、いかがで……」
ウィリアム・ドウェイン:いかがですか?と言うつもりが警官の発した「陛下」の語に驚いて語尾が消えた。思わず立ち上がり「皇帝、陛下であらせられる?」
ウィリアム・ドウェイン:桜の帝都の民でもなければ、彼の臣でもないとはいえ、礼を欠く気はなかったので深々と一礼し、改めて「おほめ頂いて恐縮です」と告げた。
ウィリアム・ドウェイン:不意に「膝を折るべき相手ではない。それは我らの女王にのみすべきだ」と何かが自分に告げた気がした。
ウィリアム・ドウェイン:「不敬にあたるかもしれませんが、よろしければお茶とともに差し上げます。僕……私と連れは霧の都から参りましたので、こちらの作法に疎いものですから、失礼を申し上げましたらどうぞご容赦ください」最後はわずかに警官にも視線を向けつつ答えた。
ウィリアム・ドウェイン:そこで、気付く。この二人に見覚えはなかったか、と。鮮烈な何かが刻まれていないか、と。
ティア・ヴァイル:あらわれた二人を見た瞬間、ぞわりとする感触を覚えつつもウィリアムに続いて深く礼をする。話の内容を思い出すことはできないけれど、それらの声色は覚えていて、いま目の前にいるのは昨夜見た夢にいた二人だという確信があった。
ティア・ヴァイル:あれはやはりただの夢ではなかったのだ。
桜の皇帝:「君たちは霧の帝都から来たんだね。僕の、桜の帝都にようこそ」青年はウィリアムの問いかけに肯定の頷きを返すとそう答え、軽く軍帽に手をかけ彼らに会釈をした。
桜の皇帝:「そうか、確かにスコーンはあちらの方が本場だからね。僕はスコーンが好物なんだけど、もしよかったら、1つ2つ分けてくれたらありがたい。」
桜の皇帝:「霧の街からわざわざ来てくれたんだ。僕が邪魔をするのも無粋だろう。すぐに退散するよ」穏やかに青年は言葉を返す。黒服の警官は黙って後ろに控えていた。
ウィリアム・ドウェイン:
危急を知らせる鐘の音のような何かが頭の中で鳴っていた。それは間違いなくこの主従から感じる。それでもウィリアムは努めて冷静であろうとした。
ウィリアム・ドウェイン:そっと見やったティアの表情の硬さが雄弁だったからだ。彼女が慎重に行動するようさりげなく頷いて見せ、それから桜の皇帝に答えた。
ウィリアム・ドウェイン:
「訪問者の我々が御前を下がるのが道理かもしれませんが、承知いたしました。拙い品ですが、2種類を二つずつ差し上げます。ドライフルーツ入りと、ニンジン入りです」
ウィリアム・ドウェイン:盛り皿の上のスコーンを、包んできたクロスに手早く包みなおして差し出す。
念のため、後ろに控えて警戒を怠らない警官に「あなたにお渡しした方がよろしいでしょうか」と尋ねた。
警官:「いえ、お気遣いなく。私は結構です」警官は顔をあげ、感情のない声で彼に返答をした。その警官の目がティアの方に向いたその時、一瞬だけ警官の顔に何か驚いたような表情が浮かんだ気もするが、気のせいかもしれない。
警官:「お連れの方も、霧の帝都からいらしたのですか?」警官が尋ねる。
ティア・ヴァイル:そう尋ねてきた警官の表情が一瞬だけ変わっていた気がするが普通に「はい。霧の帝都から。……その、先祖代々というわけではないですが」と返した。
ティア・ヴァイル:なんとなく本来の住民ではないことを伝えないといけないような気がしたのだが、また言葉が足りなかったように思う。
警官:「そうですか。では…」警官はウィリアムが差し出したスコーンの包みを受け取ると、すぐに青年の後ろに何事もなかったように下がった。
桜の皇帝:「では僕はこれで。…ああ、そうだ、君たち。この世界は美しい。そうは思わないかい?」
桜の皇帝:突然の突風。桜の君と呼ばれし若き皇帝と黒き従者を桜吹雪が包む。
ウィリアム・ドウェイン:ふたりの会話を聞いて、補足すべきか迷って。「彼女の一族が住まう里が帝都から離れた場所にあるのですが、都に出て来てくれたから、逢えました」
ウィリアム・ドウェイン: 聞きたいことはそう言うことではないかもしれない。それでも警官にはまっすぐそう言って。
ウィリアム・ドウェイン:青年には
「この世界はとても美しいと思います。そして生き抜く意志は何よりも美しいとも思います」と告げたが、その言葉と前後しての、突然の桜吹雪に驚かされる。
ウィリアム・ドウェイン:僕の声は風の音でかき消されずに帝に届いただろうか、何故かそんなことを思いつつ身を低くしてティアを庇う。
桜の皇帝:突風は始まった時と同じく、唐突にやんだ。そしてその場にもはやふたりの姿はなく、ただ大量の桜の花びらだけが宙を舞っていた。
ウィリアム・ドウェイン:風が止んだときには、二人は消えていた。桜吹雪にさらわれたような幕切れに半ば呆然として辺りを見回すが、人影はない。腕に庇ったティアの温もりだけがそこにある。
ウィリアム・ドウェイン:ふっと息を吐いて彼女から離れる。全身に力が入っていたらしく、からだがあちこち軋んだ気がした。
ウィリアム・ドウェイン:ティアに「大丈夫かい?」と尋ねてから「僕たちが夢に見た二人だったよね」と確認する。「とても、とても良くない予感がする」
ティア・ヴァイル:桜吹雪の舞うなか、突然ウィリアムに庇われるように身体を包まれて固まってしまった。大きな吹雪の音だったけれど、ウィリアムの言葉はあの二人に届いただろうか。
ティア・ヴァイル:やがて音が途切れたので閉じていた目を開けると、目の前には誰もおらず、ウィリアムの温もりも離れていた。
ティア・ヴァイル:こちらを気遣う言葉をかけてくれたウィリアムに「大丈夫。あなたのほうこそ、どこか痛めてはいない?」と返す。
それから「ええ、夢のふたりだった。なぜ、このタイミングで顔を合わせてしまったのかしら……」答えは既に出ているような気がするけれど。
ウィリアム・ドウェイン:「ありがとう、僕は大丈夫。ちょっと驚いたけれどね」彼女の問いに「ああ……数日後には時計塔を登ることになりそうだね」溜息をつく。
ウィリアム・ドウェイン:「さて、と。サンドイッチとスコーンはたくさん作ったから、実はまだ残っているよ。気力と体力を養っておこう」ベンチに戻り彼女を誘う。
ティア・ヴァイル:「ありがたくいただくわ。……緊張が解けたら、またお腹がすいてきた気がする」ティアもベンチに座り、ウィリアムから再度取り分けてもらった食べ物を受け取ると口にし始める。
ティア・ヴァイル:「……何度経験しても、あの戦いは慣れないものね」数日後に目指す場所を思い返し、瞼を閉じた。
ウィリアム・ドウェイン:ティアのカップに茶を注ぐ。木漏れ日を映して輝く琥珀色。「そうだね。僕も剣を取って戦えれば良かったけれど……せめて君を守る力になろう」
ウィリアム・ドウェイン:カップを空にして「君と僕の花は琥珀色の桜。少しこの木々から命の力を分けてもらうとしようか」そう言って頭上の枝を見上げた。
ティア・ヴァイル:「ウィリアムが護ってくれていること……ありがたく、思っているわ」と素直な気持ちを口にしてティアも見せて枝を見上げる。さきほどよりも花弁たちのさざめきはだいぶ落ち着いている。
ティア・ヴァイル:「……ある意味あちら側の場所だけど、分けてもらってしまっていいのかしら」
ウィリアム・ドウェイン:「そうだね。でも敵地から、かすめ取るのも一興じゃないかい?」悪戯っぽく笑って残ったスコーンを口に放り込んだ。
ティア・ヴァイル:「じゃあ、そうしましょうか」ウィリアムの言い方がなんだかおかしくて、少しだけ笑ってしまう。サンドイッチを食べ終わって開いたままの手のひらに桜の花びらがすうっと舞い降りてきた。
*****************************
《第二章》2
アリアナ・ローレンス:夢を見た。
凛々しい制服姿の、あれは女性だろうか……美しいひとが、赤い錠剤を受け取って飲み込むシーン。
その赤色はわたしの目には禍々しく映った。
薬を渡した秀麗な青年はむしろ清らかでさえあるのに、どこか危険な気配を漂わせていた。
アリアナ・ローレンス:あの二人は、誰なのだろう。判らないなりに感じたことがある。あの薬を飲み込んだひとは、さまざまな想いを飲み込んで暴れさせ、近々私とラウのまえに立ちはだかる、と。
(また戦いになるのね)
早朝。霧のけぶる街でわたしは目覚めた。
アリアナ・ローレンス:うまれた世界からはるか遠くにやってきて暮らしているラウと私は、この世界を守る戦いに身を投じている。
凝華の怪物(ディセンション)。「華が凝る」だなんて美しい言葉だけれど、その花は仇花だ。かつての私とラウがエクリプスに堕ちたときとは違って、
アリアナ・ローレンス:自ら選んで人の姿を捨てるのだとか。
(どんな絶望に身をさらして、あのひとは怪物になるのだろう)
あるいは、この世界を美しいままに終わらせることに執着するあまり、なのかもしれないけれど。
わたしがエクリプスになったとき、世界は私に牙をむいたと感じた。戦いで無茶していたわたしに対して、護られているはずの大事な人々や世界までもが背を向け、あまつさえわたしを滅ぼそうとしているように感じていた。
そのまま衝動に負けてエクリプスとなった私たちの行く末は判り切っていた。
アリアナ・ローレンス:戦いに負けステラナイトから降りたわたしとラウを、誓約生徒会の人が誘いに来てくれて、今に至る。
「こんな世界は滅びてしまえばいい」それが、あのとき侵蝕されていたわたしの想い。
「この世界を美しいままに終わらせる」それが、この世界で怪物になるひとびとの願い。
アリアナ・ローレンス:似て非なる願いと想いを抱いていても、終末を望んだのは一緒。けれど凝華の怪物に待つのは勝利と敗北とに関わらず、死しかない。
「やっぱり気が重いなあ……」
早朝から沈んでしまった気持ちをむりやり振り払いながら着替えて、キッチンへと足を運ぶ。
アリアナ・ローレンス:まだ本当は起きるには早すぎるけれど、朝ごはんを作っていたら気持ちが切り替わるかもしれない。それを期待して、わたしはスープを作り始めた。
フラーウム・アルブス:眠りから意識が浮上すると、喉がとても渇いていた。おそらく見た夢のせいで寝汗を多くかいたのだろう。
あそこで赤いなにかを飲んでいた者がおそらく数日後に対面する敵となる。そこからは逃れられない『死』を感じた。……自分たちではなく、あの者の。
この世界において怪物となった者は負ければ死ぬ。
フラーウム・アルブス:だが、あちらが勝った場合でも世界を巻き込んで死んでいく。かつて自分たちがエクリプスに堕ちたときとはわけが違うのだ。
ごくりと喉が鳴って、その渇きが強調される。あいにく昨夜は水を入れたコップを置かずに寝てしまっていた。仕方ないのでそのままベッドから出て下に降りることにした。
フラーウム・アルブス:キッチンに近づくと、スープの香りがした。どうやらアリアナが調理をしているようだ。
中に入り「だいぶ早起きしたな。その調子ではよく寝られていないだろう。……なにか、夢を見たか?」と声を掛けてからコップに水を入れると一気に飲み干した。
アリアナ・ローレンス:ラウに声をかけられて肩が跳ねる。彼の部屋の扉が開いたことに気付かないほどぼんやりしていたようだった。幸いスープはゆっくり弱火で煮ていたので、ふきこぼれたりはしていなかった。
「あっ……おはよう。ラウも早いね」続いて問いかけられた内容で、彼も同じ夢を見たのだと悟る。
アリアナ・ローレンス:「ラウも、見たんだね。二人、いて。片方が赤い薬を飲んでた。きっとあの人が」次の相手だ、というのは何となく憚られて押し黙る。
一息に水を飲み干すラウの様子で、彼もきっと心地よい眠りではなかったとわかったから。
代わりに「寝直す?スープとパンは用意できているから、後は食べるときに卵を焼けば出来上がりだし。手伝ってもらうことはないかなら大丈夫だよ。
私は寝ちゃうと寝過ごしそうだから起きているつもりだけど」
アリアナ・ローレンス:本当は眠れる気がしないからだけど。
フラーウム・アルブス:「寝直したほうがいいのはそちらのほうだろう。ちゃんと起こしてやるからもう少し寝てこい」
そう返してコップにまた水を汲むと椅子に座る。
「前から思ってたがアリアナは余計な気を回しすぎだ。俺より自分のことを優先しておけ」ふと窓のほうを見やると、霧の中で僅かに太陽が顔を出しはじめていた。
アリアナ・ローレンス:調理する火を止めて、エプロンを外す。ラウの優しさに甘えたくなった。つけこもうとしているとも思った。でも、命がけの戦いの予感に、震えないわけではないのだ。
「ねえラウ、お願い」彼の瞳を見つめて。「胸、貸して」
フラーウム・アルブス:「……落ち着いたら、ちゃんと一眠りしろよ」アリアナの揺らぐ瞳を見ながら返して立ち上がるとその手を引いてこちらに引き寄せ、そのまま背中に手を回す。戦のときには大剣をふるう彼女も、自分の懐に入れてしまうと小さく感じる。
アリアナ・ローレンス:引き寄せられて、彼の腕の中にいる。それがどこか信じられない気持ちのまま、彼の胸に顔を埋める。伝わってくる鼓動が少し早い気がした。
温もりと彼の香りに包まれて、小さく息をつく。「あったかい」目を閉じて、しばしそのふわふわしたような気持ちのよさを堪能する。
アリアナ・ローレンス:「ラウは細身だけれど、やっぱり私より大きいね」彼の背に手を回し、服をそっと掴む。
「ラウじゃなきゃ、だめなんだよ。ラウが包んでくれるから戦えるし、前に進めるって思う。でも時々それじゃ足りなくなるの。時々はこうしてそばにいて、いい?」
自分の呼吸がゆっくり落ち着いていくのが分かった。
フラーウム・アルブス:「アリアナがそう望むのなら」と返して、ふと以前にも同じ言葉を口にしたことを思い出す。
あのときエクリプスに侵食されていた彼女の望みは『世界を滅ぼしたい』というものだった。
そのときは自分も心底色々なものがどうでもよくなっていたから、それを受け入れた。普段のアリアナからかけ離れたそれであるということに気付けなかったのは、自分もやはり同じように侵食されていたからだったのだろう。
フラーウム・アルブス:だから、他の星の騎士たちに倒されて自分たちを取り戻したとき、正直なところもうこれで戦わなくてすむのだと思った。
だがアリアナはそうではなかったようで、誓約生徒会の者に勧誘を受けたときに再度戦うことを選んだ。
フラーウム・アルブス:もういいだろう、と咎めはしたのだがそれでも彼女は頑として譲らなかった。
フラーウム・アルブス:『わたしはもう一度世界を平和にするために戦いたい。そして一緒にそうしたいと願うのはフラーウム、あなたなの』
だからそんな言葉に根負けしてもう一度言ったのだ、『アリアナがそう望むのなら』と。
フラーウム・アルブス:それらのことを思い出して内心で苦笑しながら、「ただ、時々だからな。毎回はごめん被る」と念のため、そう付け加えた。
アリアナ・ローレンス:「わたしは毎日だってラウにこうしてもらいたいくらいなんだけれど、ラウが嫌なことはしたくないな」
もう一度だけ胸に顔を埋めて、そっと離れる。
「ありがとう、わがままを聞いてくれて。……すこし、眠るね」本当はいっしょに眠りたいくらい、傍にいたいけれど。
フラーウム・アルブス:アリアナが離れていったが、その温もりはわずかに残る。
「ああ、寝ておけ。何時に起こせばいい?」喉の渇きが癒されたのと一緒に頭も冴えてしまったので、その間は本を読もうと考えつつ尋ねた。
アリアナ・ローレンス:「んー、ご飯はできてるし、6時半でお願い。1時間くらいでも寝たらきっと楽になるかな。いつもありがとう」
頬が赤くなっているのは自覚しているけれど、とびっきりの笑顔で。
「ラウも無理しないでね」
わたしはたくさんラウ分を充填したから大丈夫、とはさすがに言えないが。
アリアナ・ローレンス:「ラウは優しいね。わたし、ラウのパートナーで本当に良かった」そう言って、自室に戻る。
(大胆なことお願いしちゃったなあ)と思いつつ、ベッドに潜り込んだ。
ラウの温もりが体に残っている。心までポカポカしているけれど、これは眠れないかもしれないと思った
フラーウム・アルブス:「わかった。眠れなくとも目は閉じておけよ」と言ってアリアナを見送る。
完全に姿が見えなくなってから「優しい、ね……」とひとりごちた。アリアナに対する感情の置きどころは正直なところいまだによくわかっていない。
いちばん解りやすいものとしてはやはり『危なっかしくて目が離せない』なのだが。
フラーウム・アルブス:そしてあの輝きを二度までも侵食させてはならないとは思う。
ならば、自分にできるのはやはりその望みをできうる限り叶えてやることなのだろう。
「なかなかに重い荷物だな」と苦笑して、時計をちらりと見てから置いてあった本を読み始めた。
《ログ1
へ》
《ログ3
へ》
《セッションログ トップに戻る》
《トップページに戻る》