《プロローグ》
「紫苑さん、紫苑さん、紫苑...」
世界が壊れていく。
巨大な鏡がばりばりと砕け散るように。
宇宙の底ではロアテラがすべてをのんでしまおうと、暗黒の口を開けて待っているのだろう。
虚無に向けて堕ちていく。
冬海の方にせいいっぱい手を伸ばす。
せめて最期の瞬間までふたりでいたくて。
でも、思い切り必死で腕を伸ばしたけれど、指先さえ彼には届かない。
彼は無理やり笑顔を作ろうとしていたのか、とても不自然な泣き顔で。
「紫苑、、、僕は君を守ると、誓ったから...」
それが最期の記憶。
世界は砕け散り、
私だけがここ桜の帝都に転送された。
記憶は奪わせない。
在りし日の彼の穏やかな笑顔を。
光り輝く彼との日常を。
愛しき記憶(メモリィズ)を抱えて、眠りにつこう。
ロアテラに彼の記憶を奪われてしまう前に。
正しく世界を終わらせよう。
このうつくしい世界を守るために。
再びあの悲劇を繰り返さないために。
そのために、私は再び冬海の剣を手に取って戦うのだ。
*****************************
《第一章》1
★ お題表、「21/過去」「24/黒い感情」「13/遠雷」
ティア・ヴァイル:霧の帝都・図書博物館分室。ここでは本室に収められている資料の複写を取り扱っている。
特に書物は熟練の技術者によって実物とほぼ相違ない形で複写・製本されており、それゆえに取り扱いも実物とさして変わることはない。
ティア・ヴァイル:とはいえ不慮の事故というのはやはりあるもので、先日書庫整理の際にいくつかの書物と立体物の写真が棄損してしまった。
写真は再度の複製を依頼し、書物は時間のあるときに司書兼学芸員の誰かが修繕するということになっていた。
ティア・ヴァイル:そして、空がどんよりしていて雨も降り出してきていて利用客も少なく司書たちにもある程度の余裕ができた日のこと。
分室関係者のみが使用可能なエリアにある一室でティア・ヴァイルはひとり黙々と書物の修繕作業をしていた。ドアの外には『使用中』の立て札がかけられており、誰も入って来る事はない。
ティア・ヴァイル:……はずだったのだが、不意にドアをノックする音が響き渡る。ティアは思わず息を詰める。少し間を置いてまた同じ音。
向こうは確実にティアがここにいる事を知っているようだ。ティアは観念して扉に向かい、ドアのロックを解除した。
ウィリアム・ドウェイン:「失礼するよ」ノックの主はそっと声をかけてから扉を開けた。ウィリアム・ドウェイン。背の高い彼は少し身をかがめるようにしてドアをくぐってからティアに微笑みかけた。
腕には小さな布袋を提げ、ポットを抱えている。「やあ、作業お疲れ様、お茶にしないかい?」
ウィリアム・ドウェイン:提げている布袋からは、控えめながら甘く優しいバターの香りが漂っていた。恐らく彼の手製のスコーンだろう。
ささやかにかちゃりと鳴る音がして、布袋の中にカップと皿も入っていると推測された。
「連日修繕ありがとう。君の作業はいつも丁寧だから、助かっているよ」
ウィリアム・ドウェイン:「でも少し休まないとね」大きめのテーブルには修繕中の書物と修繕用具が広がっていたが、彼は器用に作業スペースを作ると茶器とスコーンを取り出した。
「淹れたてでなくてすまないけれど、いい茶葉が手に入ったんだ」締め出されていたことには触れずに、準備に取り掛かる。
ティア・ヴァイル:ティアの返事を待たずに作業スペースを作っているウィリアムの布袋から漂うバターの香りに、ティアははじめて自分がここに籠もるとき食べ物を持ってきていなかったことに気がつく。
修繕するための本で両手がいっぱいだったのもあるけれど。
ティア・ヴァイル:そして自覚してしまうと空腹にも気づいてしまったのでウィリアムの誘いには素直に従うことにする。
椅子に座ったティアは、準備を続けているウィリアムをぼんやりと眺めながら修繕について礼を述べた言葉に「これも仕事だから」とだけ返した。
ティア・ヴァイル:そして、一番会いたくなかったひとが、いつもと変わらぬ表情でティアの目の前にカップをそっと置いてきた。
淹れたてではない筈のそれからは、とても良い香りが感じ取れてざわついていた心がほんの少しだけ落ち着いた。
ウィリアム・ドウェイン:「仕事を丁寧にできるのは美徳だよ。君がいてくれてよかった」
スコーンの皿とジャムの瓶をティアの目の前に置いてから、自分のためのカップにも注ぐ。「お茶を提供する代わりに、僕もここで休ませてくれ」
強引さを自覚しているような笑顔で彼は彼女の向かいに座った。
ウィリアム・ドウェイン:スコーンを割り、ジャムをつけて口に運ぶ。何気ない様子で「そうだ、グレイスと何だかかみ合わなかったみたいだね。彼女、少し言い過ぎたと言っていたよ」
年配のベテラン司書の名をあげて、穏やかに笑みながら紅茶を飲む。「今日はいいから、明日にでも少し話すといい」
ティア・ヴァイル:「……あまり長居しなければ。どうぞ」なかなかにあんまりな言い方ではないかとティア自身思うのだが、きょうばかりは感情をうまく制御できる自信がなかった。
ティアもウィリアムと同じようにしてスコーンを少しずつ食べていると、グレイスという言葉を聞いて胸がどきりとする。
ティア・ヴァイル:きのう、言葉が足りなかったばかりに困惑させてしまったからだ。それをウィリアムがどこからか耳ざとく聞きつけたのだろう。
いつも上手く伝えられずにこうした小さな諍いを起こしてしまいがちなティアをフォローしてくれるウィリアムには正直感謝している。
ティア・ヴァイル:そしてその気遣いはティアだけでなく、周囲の職員たちにも向けられている。分室にとってなくてはならない存在だといえるだろう。
「……うん、明日、もう一回話してみる。その、ありがとう」
そう言ってティアは紅茶を口に含んだ。穏やかな時間が流れていく間にも雨は降り続けている。
ティア・ヴァイル:ティアの持つ常人よりも聞こえの良い耳は、先ほどより激しくなった雨音を拾ってしまう。
それに揺さぶられて感情がだんだんと黒く塗りつぶされていく。このままでは、初めて出会ったときのようにウィリアムへと爪を立ててしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
ティア・ヴァイル:「……ごめん、なさい。やっぱり、もうすこししたら、出ていってくれる……?」
ティアは絞り出すようにその言葉を口に出した。
ウィリアム・ドウェイン:礼を言われて柔らかく「どういたしまして」と答える。もともと饒舌な質ではないティアとの会話は途切れがちだが、その合間に聞こえる雨音が強くなったのを感じた。
初めて出会ったときも、こんな強い雨の日だった。同じ木の下で雨やどりをしようとした彼女を見かけて、持っていた大きめのタオルを差し出そうとした。
あまりにずぶ濡れだったので頭からかけてやろうとしたのが災いして、怯えた彼女にその鋭利な爪で引っかかれたのだ。
人狼の血を引く彼女は同じ年頃の少女たちとは違うものを見せられ、味わわされてきたのだろうと後で気付いた。
ウィリアム・ドウェイン:それは無粋で失礼な推測かもしれない。だが、時折怯えや苦しみ、敵意を帯びた目を周囲に向ける彼女に、胸が痛んだ。
彼女が菓子や紅茶を口にした時ほんのわずかに垣間見せる穏やかな表情との差が、あまりに辛くて、こうしてつい甘やかしてしまうのかもしれない。この柔らかな表情を他の者も見れば、彼女への見方が変わるかもしれない。
いつかお茶を分室の皆で気兼ねなく飲めるようになればいい、そのきっかけを作りたいのもあって彼女をお茶に誘っている。
余計なお世話だと思う。それでも、やわらかな空気を彼は愛していた。その中に彼女もいて欲しいと心底願っていたのだ。
ウィリアム・ドウェイン:「出ていって」という絞り出すような言葉を、どんな思いで口にしたのだろう。腹を立てるより痛ましさで胸が詰まった。
彼女に「僕はあの日傷を負ったことなど気にしていない」と伝えても辛くなるばかりだろうから、口にはしない。
その代わり「明日はサンドイッチも持ってくるよ。一緒に食べよう」と、茶を飲み干してから言った。
言外に「明日も一緒に過ごそう。君を独りにはしない」と伝えたくて。彼女がいつか人々の間で過ごすことも一人の時間を過ごすことも好きなだけ選べるようになればいいと思った。
それが霧の騎士として組む自分でなくて構わない。傲慢かもしれないが豊かに生きて欲しかった。
ウィリアム・ドウェイン:とりあえず、出ていけと言えるのはある程度安心してものが言える間柄だからだろう、と良い方に解釈して、茶器を片付け始めた。
ティア・ヴァイル:ウィリアムがかけてくれた言葉の意味を考えようにも強くなる一方の雨音に遮られて上手くいかない。ティアはただ自分の手をきつく握りしめていた。
そうしているうちにウィリアムが片付けを終えてこちらにいったん背を向けた途端、ティアはそこを引き裂きたいという黒い感情に支配されてしまう。
ティア・ヴァイル:過去のあやまちを繰り返してはいけないと思うのに身体は止まってくれなくて、あっという間に椅子を蹴って机の上を飛んで目の前すぐに迫ったその背中に手を置いてしまった瞬間、遠雷が轟いた。
原始的な恐怖からか、そのまま身体が固まってしまったのは幸いだった。
「はやく、はなれて……!」
ウィリアム・ドウェイン:切迫した声と背中に置かれた手の感触に振り向いたウィリアムは、そっと彼女の手を取り、ひざまずいた。
「僕の剣。忘れないで、僕は君の鞘、パートナーだよ。君の苦しみも痛みもすべて分け合いたいんだ。君が僕を引き裂きたいならそれすら受け止められる。でも君はそれを望まないんだろう?
だったら、僕にその苦しみを吐き出してくれ。ちゃんと受け止めるから」指先にそっと唇を寄せて、すぐ離す。
「大丈夫だよ。僕が生きている限り、独りにしないから」
耳と目を隠すように纏うフード。その奥で揺れている瞳にウィリアムは視線を合わせた。
ティア・ヴァイル:ウィリアムのくれた言葉は、固まって動けないでいるティアの心にひどく染み渡った。
指先に一瞬だけ柔らかい感触が当たって離れたと同時にまた雷が鳴った。そこでようやくティアは身体を動かすことができたがそのまま床にへたりこんでしまう。
ウィリアムと視線が合った瞬間、瞳を射貫かれてしまう。
ティア・ヴァイル:「……わたしの一族は、わたしの姿を先祖返りだともてはやしているけれど、この姿で良かったことなんて、一度もなかった」
そう、ぽつりと言葉が口から出てしまった。
ウィリアム・ドウェイン:小さな呟きを聞き逃さぬように耳をそばだてて。
「君にとって、その姿は辛いだけだったんだね。でも、いつも沢山のことに気付いてくれて、細やかな作業を得意としていて。君の瞳と手は、僕から見ればとても美しく尊いものだよ」
手を取ったまま、へたりこんだ彼女から視線を外さずにひどく真面目な顔で。
「僕の瞳の色だって、珍しがられるくらいならましさ。気味悪がる人の方が多い。それでも僕は僕だ、君が君であるように。それはとても残酷なことだ」
一呼吸おいて「僕は君を苦しめるものが君自身だというなら取り除くことは出来ない。だって、こうして手を取りたいからね。」
ウィリアム・ドウェイン:「君が自分の姿を厭うとしても、僕は厭わないよ。それが嫌なら困ったな……どうしたものか」苦笑して
「君には、笑っていて欲しいんだけれどね」
ティア・ヴァイル:「……そうなの? あなたの瞳は、その、きれい……なのに」
誰にでも好かれると思っていたウィリアムが、やはり自分ではどうすることもできない外見が原因で疎遠にされてしまうという事実にティアは内心驚いた。
ウィリアムに取られたままの手からは、彼の温かい熱がじんわりと伝わってくる。
ティア・ヴァイル:もう一度雷が鳴ったことで、ティアは自分のなかに渦巻いていた黒い感情が落ち着き、かわりに優しい気持ちが流れ込んできていることに気づく。
『この姿を厭わない』と真っ直ぐ言ってきた人間はウィリアムがはじめてだった。ティアは、それに報いるにはどうすればいいだろうかと考える。
ティア・ヴァイル:「……あした、晴れていたら……、昼休みに、公園に」そこまで言って、恥ずかしくなって口を止めてしまい、うつむく。
ウィリアム・ドウェイン:「そういうものさ、自分と違うから排除する。僕だって、きっとそういうところはある。気付かないうちにね。
実際、僕が今受け入れられず放置できないのは、この世界を正しく終わらせたい人の願いかな」少し笑って。「それ以外は、きちんと向き合って受け入れられなくてもあることを認めたいと思うよ」
ウィリアム・ドウェイン:彼女の緊張が和らいだのを見てほっとした表情で。「ああ、公園はいいね。サンドイッチとスコーンと紅茶をもっていこう。
もしかしたらアイスクリーム売りが出ているかもしれない。揚げ物売りもね。そうしたらその辺も買って食べようか」そっと中腰になって手を引く。「さ、床の上は冷えるよ」
ティア・ヴァイル:「……正しく終わる世界と、そうでない世界の違いって、なんなの、かしら……」
ティアはそう呟くと、ウィリアムに手を引かれてようやく身体を起こす。「あの……ひとつ、お願いして、いい? その、アボガドを中に挟んだサンドイッチも、食べたい、の」
ウィリアム・ドウェイン:「選ぶものの違いだと思う。僕は抗い続けることを望む」立ち上がった彼女の手をそっと離し、耳を傾け。
「アボカド、いいね。エビと一緒にホースラディッシュを混ぜたマヨネーズソースをかけるのも流行りだけど、どうする?」茶器を袋にしまい、一つ残ったスコーンを包む。
ウィリアム・ドウェイン:「どちらの世界もいつか終わる日が来るとして、自ら終わりにする世界と最後まで抗い続ける世界と、笑顔はどちらが多いのか。そんなことを考えているよ。結論はまだ出ない」
スコーンを手渡し「後で小腹がすいたら食べるといい。明日は二種類のスコーンを焼いてこよう」
ティア・ヴァイル:「難しい、話ね……。ウィリアムは、笑顔の多い世界が、好きなのね」
それは普段の周りに対する行動からも明らかだなとも思いつつティアはそう返し、スコーンを受け取る。あとでまた小腹が空いたらいただこうと思う。
「ソースも、お願い。……その、スコーンも。楽しみにしている、わ」
ティア・ヴァイル:気持ちをちゃんと言葉に乗せて伝えようとすると、どうしてもたどたどしくなってしまう。もう少し、上手くしゃべれるようになればいいのだけれどと思いつつ
「それから、きょうは……ありがとう」と伝えて、ティアは口を結ぶと作業に戻るべくまた椅子に座った。
ウィリアム・ドウェイン:「考えれば難しいから、僕は自分の心に正直になってるよ」頷いて「帰りに色々買って帰るとするか。楽しみにされたなら、腕を振るうとするよ」
破願して「こちらこそ、いいお茶の時間だった」彼女が座ったのを見届けて袋とポットを手に取り「じゃあ、明日。晴れることを期待しよう」
ウィリアム・ドウェイン:鍵を閉めずに少し開けておいた扉を開け放ち、彼はまた身をかがめて出て行った。お茶とスコーンの香りだけが部屋にわずかに残された。
ティア・ヴァイル:「ええ。それじゃ、また明日」見送るときにもう一度ウィリアムの背中が目に入ったが、今度はまったく衝動がわき起こらなかった。
どうやら完全に落ち着いたようだ、と安堵する。気がつけば雨音も気にならなくなっていた。
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《第一章》2
★ お題表、「12/占い」「62/デート」「35/寝顔」
アリアナ・ローレンス: わたしことアリアナ・ローレンスと、パートナーのラウ……フラーウム・アルブスが聖アージェティア学園からこの霧の都に送られて来て、そこそこの時間が経過した。
アリアナ・ローレンス:それぞれ仕事を見つけ、わたしの方は街の片隅に幾つも出ている揚げ物の屋台の料理を手伝ったりしつつ、最近はちょっとした特技であるカード占いをして日銭を稼いでいた。わたしの占いは意外と当たるので、いい稼ぎになりつつあった。
そんな毎日のなかで疲れが出たのだろうか。
アリアナ・ローレンス:わたしは下宿に戻ってすぐに眠くなり、転寝してしまった。それもお料理を食べる前にだ。
都合上仕方なく一緒に暮らしているフラーウム(部屋は別々)には、わたしの寝顔を見られてしまったと思う。
だって、キッチンの椅子で転寝していたはずなのに、わたしの部屋のベッドに寝かされていたのだもの。
アリアナ・ローレンス:時間はそろそろ20時頃だろうか。繁華街の方から賑やかな歌声や喧騒が聞こえてくる。わたしのお腹もにぎやかに鳴り出した。身支度をして、部屋のドアを開ける。
窓際に、ラウが立って何事か考えているようだった。テーブルの上の食事には、まだ手を付けられた形跡はない。
アリアナ・ローレンス:明日辺り霧の都の探索と称して、彼をデートに誘ってみようと思う。わたしのシロツメクサの四つ葉は、彼を幸せにするだろうか。
「ラウ、私を運んでくれてありがとう。ご飯、待っててくれたの? 先に食べて良かったんだよ」スープを温め直しながら、わたしは彼に微笑んだ。
フラーウム・アルブス:老夫婦が運営している商店での事務仕事を終えて霧の都に滞在する間の仮宿に戻ってくると、キッチンの椅子でうたた寝しているアリアナが目に入った。頬をつついてみるも起きないので、これは本格的に寝入っていると見たほうがいいだろう。風邪を引かれても困るのでその身体をなんとか持ち上げ、アリアナの部屋のベッドに寝かせてやる。
フラーウム・アルブス:キッチンに戻って改めてテーブルを見ると、アリアナが作ったとおぼしき夕食が並んでいる。きょうは帰る時間が読めないから戻ったら勝手に作って食べると言っておいたのだが律儀にもふたりぶん作った様だ。
フラーウム・アルブス:まだそこまで腹も空いていないので、アリアナが起きてからでもいいだろう。そのまましばらく本を読み、窓際で考えをまとめているとに目を覚ましたアリアナが現れた。スープを温め直しながらアリアナが言った言葉には
フラーウム・アルブス:「食べ物を前に寝るってなかなかできることじゃないな、疲れるほど動かないほうがいいぞ。あと一緒に食べたほうが洗い物も一度ですむからな、それだけの話だ」と返して椅子に座った。
アリアナ・ローレンス:目をしばたたかせて彼の言葉を反芻して。彼らしい気遣いの仕方だと思って頬をゆるめた。
「そうね、でもありがとう。私転寝でこんなに深く寝入ったの、こっちに来てから初めてかも。今日は早く寝るし、明日は適当なところで切り上げるね」スープをよそって彼を食卓に呼ぶ。
アリアナ・ローレンス:「今日は魚のフリッターと野菜たっぷりのスープだよ。パンは今温めたばっかり。さ、食べよ?」
あまり電気製品がたくさんあるわけではないので便利家電にあまり頼れないのはちょっと辛いが仕方ない。郷に入っては、何だっけ?そんな感じ。
「今日は事務仕事どうだった?」
アリアナ・ローレンス:「事務所に色々な話を持ってくる人がいるから、情報収集もできるって言ってたよね」
パンを口に運びながら尋ねてみる。「なんか面白い話とかあった?」
フラーウム・アルブス: 「そうだな。風邪を引かれても困るから適度に調整してくれ」
そう返したあとアリアナのメニュー紹介を聞いたあとふたりで手を合わせ、夕食を取る。アリアナの作る料理の味付けは控えめなので疲れているときでも割と良く食べられてしまう。
自分で作るとこうはいかない。その違いはどこから来るのだろう。
フラーウム・アルブス:「面白い話か……特には……いや、そういえば土曜日に公園の一角で古物販売が行われるらしい。アーセルトレイでいうフリーマーケットのようなものだろうな」
この霧の都における文明レベルは「ヴィクトリア朝時代の英国」だった。もっともこちらでは身分による厳格な差はさほどなく
フラーウム・アルブス:(とはいえ貧富の差はやはりあるようだった)、服飾も隣の桜の都から入ってくるものがあるため、道行く人の服もそこまで華美という感じもなかった。
ただ、女性の主流はやはりドレスであるためか、アリアナもそれに合わせている格好だった。
フラーウム・アルブス:「アリアナはこちらで着る服が足りないと言っていたよな。そこで見てみるのもいいんじゃないのか?」
もしかすると、ほかにもアーセルトレイでは見られないようなものがあるかもしれない。問題は着けられる値段がどうなるか解らないくらいだ。
アリアナ・ローレンス:公園でフリーマーケット、服と聞いて笑顔を浮かべてしまう。
「服を買ってもいいの?わぁ、嬉しい。お財布に優しいお値段だったら買おうかな。ラウも服を見るといいかも。本も売ってるだろうし……その、一緒に行こう?」
デートに誘うつもりでいたから、渡りに船だ。
アリアナ・ローレンス:慣れない仕事で疲れている彼を連れ出すのは少し気が引けたけれど、昼の光の下に彼を連れていきたくて、何より一緒に歩きたくて、胸が高鳴る。大好きな人と一緒にいられる今、沢山のことがしたいのだ。「お野菜とか沢山買えたら保存食にしたいし、手伝ってくれると嬉しい」
フラーウム・アルブス:「保存食用か……解った、一緒に行く。ここには冷蔵庫がないからな……ただ、あまり重くならないようにはしてくれ」実は自分よりもアリアナのほうが筋力はある。だから、女神からステラナイツになれと言われたとき表だって戦うのが自分ではないことに安心してしまったくらいだ。
フラーウム・アルブス:さすがにこちらに来てからは文明の違いという面である程度の腕力が必要とされるから、今更のように筋肉トレーニングをしていたりはするのだが。「確か朝の11時から始まると聞いた。掘り出し物はやはり早めになくなるとも」
アリアナ・ローレンス:「うん、張り切って買いすぎないようにする!」ラウと一緒に行けるというだけで気分がこんなに高揚する。誓約生徒会のメンバーとして異世界に飛ばされてしまったけれど、彼が一緒ならいつでもどこでも頑張れる。そう思えた。
「11時ね?じゃあ10時半過ぎには行って品定めしておこう?楽しみだなぁ」
アリアナ・ローレンス:ここの下宿には前の住人の残したものが色々揃っていたから(誓約生徒会のメンバーが借りていたらしく、細やかだった)いきなり不自由はあまりしなかったけれど、細々したものは欲しい時もある。
「お昼は屋台で買って食べようよ。わたし、おいしいお店は香りで判るし!」
アリアナ・ローレンス:食後のお茶を淹れる。紅茶は嗜好品だけれど、カフェに行くよりは茶葉のほうが安いしラウも嫌いじゃないようなので、夕食の後などに楽しんでいる。
カップを手にした私たちの間にゆるやかな空気が流れる。それを楽しみたいけど、ずっと聞きたかったことを思い切って尋ねた。
アリアナ・ローレンス:「ねえ、ラウ。誓約生徒会のメンバーでいると、こうして異世界に飛ばされたりもするよね。……辛くない?」
フラーウム・アルブス:「あまりはしゃぎすぎるなよ」苦笑しつつアリアナに釘を刺す。気をつけていないとほんとうに軽く限界を超えていってしまう傾向があるからだ。ふたりで食器を下げて洗ったあと、アリアナが淹れた紅茶を味わう。きょうはアップルティーのようだった。ふとアリアナが口にした質問には
フラーウム・アルブス:「面倒ではあるが、辛いとまでは思わないな。まあ、物が足りないとかそういった細かい面ではそういうことも出てはくるが。本でしか読んだことのないような世界に行けるという意味では、興味のほうが大きい」と返して、自分の口から出た興味という言葉に少しばかり苦笑する。
フラーウム・アルブス:本を読んで得たものに想いを馳せることなど、昔の自分ではあり得なかったことだからだ。それくらい、自分の人生はあの学園の寮という内側で完結していて、その終幕も様々な邪魔が入らなければもっと早く訪れていたはずなのだ。そんな考えを振り払い「そういうアリアナは辛くないのか?」と尋ねた。
アリアナ・ローレンス:「ラウは本当にたくさんの本を読んでるもんね。もっと私も読もうと思ってるけど、ラウほど早く読めないな。ラウくらい知識があれば色々理解も馴染みも早いよね……いつも感心してる」
「え、それは……」アップルティを一口飲んでから、彼の質問にどう答えようかしばし悩む
アリアナ・ローレンス:「びっくりしたり、怖いことも時にはあるよ。でも」真っ直ぐに彼の瞳を見つめて。
「ラウと一緒なら。ラウと一緒だから、大丈夫。ラウがそばにいてくれれば、辛くなくて、嬉しいの」
フラーウム・アルブス:「まあ、読書は心に栄養を与えるようなものだからな。あせってもいいことはないから読めるときに読めばいい」と返し、こちらの問いかけに答えたアリアナがまっすぐにこちらを見据えていることに気づいて
「……そうか。なら、いい」とだけ言った。
アリアナ・ローレンス:「ラウは心に沢山の栄養を貰ってたんだね」
小さく息を吐いた。「ラウと一緒なら」は心を込めた言葉だったから、もう少しリアクションが欲しいけど、相手はラウだからこれでいい。ちゃんと伝わったと思うし。
まだ「あなたが好き」だなんて言わない。困らせたくないもの。態度には……出てるけど。
フラーウム・アルブス:アリアナの言葉や態度からは真っ直ぐな感情が伝わってくるのだが、それにどう返したものかと思いあぐねることが多い。
結果、いつもと変わらない対応になってしまうから、それを受け止める資格がないとも感じている。いま、自分を生に繋ぎ止めているのは間違いなく彼女であるのだが。
フラーウム・アルブス:「……土曜はいつもの時間に起きたほうがいいだろう。とりあえず今日はもう風呂に入ってさっさと寝るんだな」
そう言ってフラーウムは立ちあがる。「夕食と紅茶、ごちそうさま」
アリアナ・ローレンス:「うんわかった。ラウも夜更かししないでね……おそまつさまでした」
この時間がずっと続けばいいと思ってしまう。同じ家に二人っきりの夜も、目覚めて最初に会う人がラウだなんてことも、さすがに学園都市に戻ったら叶わないから。
戦いをひと時だけ忘れて、その幸せを堪能したくなった。
アリアナ・ローレンス:右手を伸ばして、彼の服の袖をそっと掴む。
「ラウ、あのね……一緒にいるのは、ラウじゃなきゃ、いやだからね?」見つめた彼は常の表情のままで。少しホッとして。
「それだけ。おやすみなさい」ぱっと手を離して足早に扉に向かい、自室へ滑り込んだ。
フラーウム・アルブス:「…………」どうしてアリアナはそのようなことを言えるのだろうと思いながら、彼女の後ろ姿を見送ると茶器を台所へと運んで片付ける。
……考えてみれば、なし崩しに一緒に住む状態になってしまったが、回りの人々にはどう映っているのだろうか。
意外と兄と妹くらいにしか思われていないかもしれない。
フラーウム・アルブス:自分たちの関係を他者に問われたらどう説明するか話し合っておく必要があるなと思いつつ、先程読んでいた本をまた開いた。
アリアナ・ローレンス:湯浴みして、ベッドに潜り込む。さっきの言葉に動揺さえしてもらえない程度にしか思われてないのかと少しだけ悲しくなったけれど、決定的な言葉を告げたわけではないなと思い直して。
「もっとラウのこと、知りたいな。わたしのこと、知って欲しいな」そう呟いてシーツに顔をうずめた。
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