《間奏》



桜の御所の庭園にて。

彼はひとり、スコーンをつまむ。
滑らかで濃厚なクローテッドクリームをそえ、そして香り高い紅茶には、霧の帝都風にミルクをたっぷりいれて。
「うん、ミストナイトくんお手製のスコーンも、悪くない。いや、大したものだ。女王のには少々及ばないけれども」
スコーンをかじり、彼はそう上機嫌に呟いた。
「君は世界を美しいと言ったね。そして生き抜く意思も」
そう自分の前で言い切った青年の凛々しい顔を思い出し、桜の君は穏やかな笑みを浮かべる。
「僕もそう思うよ。それはとても大切なものだと。だからね。」
だから、ロアテラに捕食させるわけにはいかないんだ。
「君はまた、彼らを遣わして邪魔をするのだろうけれど。でもね、今回の愛しき思い出(メモリィズ)はとっておきだ。」
とびきり美しいメモリィズは、それだけ強力な力を有している、だから。

頭上には決して散ることのない桜の花。
大切なものも、美しいものも、そのままに。
輝ける世界よ、永遠にあれ。
このまま時を止めてしまうことが、桜の皇帝である彼の意思。

この世界の民と、
そしてなにより、君を救うために、
今度こそ、この世界を滅ぼす。

もうじき会えるから、待っていてくれ。
壊れてしまった、僕の愛しい???(ブリンガー)。




霧の帝都、白亜の宮殿の一室にて。

彼女はひとり、スコーンをつまむ。
クローテッドクリームは山盛り。そして熱々の紅茶にはミルクとお砂糖をたっぷりいれて。
「今度のレシピはどうかな。うん、悪くない。ちょっと冒険して、にんじんとか入れてみたんだけど」
スコーンをひと口かじり、彼女は軽く眉をよせてそう呟いた。
「今度いつ、彼に会えるのかな」
彼がまた、世界を支える柱を壊すための使徒を造りだしたことを、彼女は知っていた。
黒き使徒が現れるのは明日である。もちろん、彼女も何もしないで手をこまねいているわけではない。
「私は、戦わずにあきらめるのは嫌なの。」
たとえ、いずれ暗闇の世界が訪れるとしても。
「あなたは、私のことを壊れてるというのだろうけれど。でも願いを持つ者がいる間は、可能性に賭けてみたいの。」
まだあきらめたくない。
だって、人々の願いはこんなにも美しくて、そして強力な力を有している、だから。

窓の外には決して晴れることのない白い霧。
大切なものも、美しいものも、いずれ消えてなくなってしまうのかもしれない。
でもまだ、ほんのひとかけらでも可能性が残っているのならは、それに賭けてみたいのだ。
最後の時まで破滅に抗うのが、???である彼女の意思。

私といっしょにロアテラと戦って。
きっと私とあなたなら、ロアテラにだって、勝てると思うの。
だって、私はこんなにもあなたのことを想っているのだから。

お願い、私の最後のわがままを聞いて。
完璧にして完全なる、私の愛しい桜の君(シース)。




*****************************

《第三章》1



ティア・ヴァイル:夢を見た。
ティア・ヴァイル:とはいっても内容はぼんやりとしていたが、テーブルの上にあったスコーンがとてもおいしそうだったことだけは覚えていて、
そんなに食い意地がはってしまっているのだろうかといつもの時間に起きたティアは赤面しながらベッドを抜け出した。

ティア・ヴァイル:机の上に置いてある手帳を確認すると、きょうは故郷から従兄が出てくることになっていた。
十歳年上の従兄は医者であり、定期健診と称して人間の医者にあまり世話になれない身の上であるティアの体調などを把握し管理してくれている。

ティア・ヴァイル:先週電話をした時にはこちらの仕事が終わる頃合いに分室前の広場で待っているとの事だったので、読書好きな従兄はどこかのタイミングで分室に紛れ込んでいるはずだ。
ふとティアは数日前の雨の日の出来事を思い出す。どうもよくない兆候だったような気もするので、従兄に相談しなければならないだろう。

ティア・ヴァイル:そしてその日の仕事をつつがなく終え、帰りの挨拶をして外に出ると広場の椅子に従兄が座っていた。
ティアのようにフードで顔や耳を隠す必要のない従兄は、人間の耳と同じ位置に獣耳がある。
あちらも気づいたようで、ひとの良い笑顔を浮かべてこちらへ寄ってくる。


ディーン・ヴァイル:「久しぶりだね、ティア」
ティア・ヴァイル:「ええ、お久しぶりです、ディーン兄さん」
ディーン・ヴァイル:「今回は一週間滞在するから、ティアの休みの日を教えてくれるかい?」
ティア・ヴァイル:「ええと……明後日ですね」
ディーン・ヴァイル:「じゃあ健診はその日に。申し訳ないけど、一日使わせてもらっても大丈夫かな?」
ティア・ヴァイル:「はい」

ティア・ヴァイル:そんなやりとりをしていると、分室から出てきた誰かがこちらに近づいてくる。
最初は夕焼けによる逆光でよく見えなかったのだが、ウィリアムだった。どうやら彼もちょうど帰る時間だったようだ。


ウィリアム・ドウェイン:仕事を終えて分室を出ると、出口の前の広場にティアがいたので近づいた。
今朝の夢では、桜の皇帝らしき人物が再び現れた。もう一人、恐らく霧の都の中枢に座す存在らしき姿も。
恐らく近日中には戦いになるだろうことを踏まえ、彼女と少し打ち合わせをしておきたかった。

ウィリアム・ドウェイン:正確には打ち合わせというより体調と心の状態が気になっていたから、気晴らしをさせたかった。
昨日わざわざ桜の帝都に連れて行ったのも、気分転換になればとの思いからだったのだが、あの主従に出会ってしまい裏目に出たかもしれないといささか悔やんでいる。

ウィリアム・ドウェイン: 夕日を浴びた彼女の瞳は神秘的に見えてとても美しく感じられた。
「今帰りかい?」声をかけてから、彼女の傍に男性がいるのに気づく。獣の耳の持ち主だった。
親族だろうか、彼女はミストナイトのことを周囲に打ち明けていないだろうから、次の機会にすべきか、と悩む。
結局声をかけてしまったこともあり、足を止めずに近づいて、当たり障りのない話をして去ろうと決めた。


ティア・ヴァイル:「ええ、帰りに従兄と待ち合わせをしていたの」とウィリアムに返し、ディーンの方に向き直ると「ディーン兄さん、紹介するわ。この方はウィリアム・ドゥエインさん。わたしにこの分室の働き口を紹介してくれた方よ」
ディーン・ヴァイル:そうティアが言うと、ディーンはウィリアムをしげしげと眺める。
それから「そうか、君がウィリアムくんか。ティアがお世話になっているね。私はディーン・ヴァイル。ティアの従兄で、医者をやってる。同族専門だけどもね」
と返しながら手を差し出してウィリアムに握手を求めてくる。

ウィリアム・ドウェイン:男性にしげしげと眺められたが、不思議と嫌な気はしなかった。人柄の良さが表情に表れていたからだろうか。
差し出された手を快く握って名乗り「ティア……さんはディーンさんに僕のことを話していたようですが、少しでも彼女の手助けができていれば光栄です」と笑った。

ウィリアム・ドウェイン:ティアは今の言葉にミストナイトのことをちりばめたのだと気づいただろうか。彼女はディーン氏に自分の戦いを報告しているだろうか。
それによっては、彼女を守るうえで心強い味方になってくれるだろうかと考える。ありふれた存在ではない彼女を守るには味方が欲しかった。

ティア・ヴァイル:定期健診をしてもらっている都合上、ディーンにはウィリアムとの出会い、そしていまティアと共にミストナイトとして戦っていることを報告してある。
だからウィリアムがディーンに投げ掛けた言葉にも合点がいったようで、握手をしながらこう言った。
ディーン・ヴァイル:「そうだね。君はなかなか良くティアを守ってくれているようだ。……そうだ、ここで立ち話もなんだから、良ければ途中で何か軽食を買って私の宿泊しているホテルへ来るかい?」
ウィリアム・ドウェイン:彼の言葉に目を見開いた。「そうでしょうか。それなら、嬉しいです」
深く安堵しながら、知ったうえで彼女を見守る存在には頭が上がらないとも思った。
「よろしいのですか?確かに色々お話しておいた方がいい気はしますが……」少し躊躇いがちに頷いてから、
「そうと知っていれば僕が食事をお作りしたんですが。お勧めの品があるので、お好みを言って頂ければ温かいものを買っていきますので、お邪魔させてください」
屋台も含めて食事なら任せろ、という顔に見えたかもしれない。

ディーン・ヴァイル:ウィリアムの言葉にディーンは笑顔を浮かべて「私はビーフシチューのパイ包みと、バターによく合うパンが好みなのだけれど、バターも含めておすすめのところはあるかい?」
と言ってからティアのほうを向いてきて「今日は私がお金を出すから、ティアもおすすめを聞いてみるといいんじゃないかい」となげ掛けてきた。

ティア・ヴァイル:断るのも躊躇われたので素直に言葉に甘えることにして
「ありがとうございます。ええと、じゃあ、イワシのオイルサーディンが食べたい気分なのですけれど……」と二人に話しかけた。
たまに魚や肉がとても食べたくなるのだが、どうやらちょうどその時期に入っているようだった。
ウィリアム・ドウェイン:「ビーフシチュー、パイ包み、パンにオイルサーディン……」作りたい。滅茶苦茶作りたいが、夕食の時間は迫っている。
それなら、とお勧めのパン屋とグロサリーとパイシチューの屋台を挙げて、ここから15分ですべて回れることも伝えた。
パイシチューの屋台は自分が行って、パンとサーディンとバターについてはさっと地図を書いてティアに渡す。
温かいものを温かいうちに食べるために、二手に分かれてホテルで待ち合わせする算段をつけた。
「すぐホテルに伺います。今なら出来立てが買える時間ですから」そう言うと、僕は速足で屋台へ向かった。

ディーン・ヴァイル:「よろしく頼むよ」ディーンがホテル名を告げると、ウィリアムは頷いてそのまま人混みのなかに消えていった。
ティア・ヴァイル:ティアも「じゃあ、わたしも買いに行ってきますね。兄さんはロビーで待っていてください」と言ってウィリアムとは逆方向へ歩いていく。
パンの屋台が手前にあったので少し先にあるサーディンの屋台で先に目的のものを買い求め、パンの方に戻って白パンとバターを人数分買うとそのままホテルに向かう。
途中でタイミングよくウィリアムに会うことが出来たので、二人でホテルに向かう。予告どおりロビーでディーンは待っていてくれた。
ディーン・ヴァイル:「ありがとう。じゃあ、部屋に行こうか」
ティア・ヴァイル:ディーンに着いていくと、今回泊まっているフロアは三階のようだった。看ている患者を寝かす必要があるからか、ツインの部屋を取っている。
テーブルに買ったものをまとめて置くと、ちゃんと手を洗ってくるように指示される。こういうところは実に医者らしい。座る場所の指定は適当だったけれど。

ウィリアム・ドウェイン:手を洗ってついでに適当に調達したスプーンも洗い、ふたりに手渡す。オイルサーディンも柔らかいだろうから、スプーンですくえるはずだ。
むしろオイルも楽しむならスプーンのほうがいいだろう。それはともかくとして。
「改めて、全て承知の上でティアさんと僕の戦いを見守ってくださっているのでしょうか。だとしたら、本当に感謝に堪えません」頭を下げる。
ディーン氏の「シチューが冷めるよ」という視線に頷いて、とりあえずパイを崩しながら食べ、その間は寡黙になる。パンもバターもいい味だったが、自分と同年代にみえながら老成した感のある彼に、どこか感服する気持ちがあった。
彼に対してやましいところは全くないが、彼女を危険に晒していると責められたら、その責を全て負い、もしも彼女が降りるというならそれに頷こうと覚悟していた。
大切な、自分のパートナーをどんな形でも守りたい。

ディーン・ヴァイル:「うん。このパン、バターだけでなくビーフシチューにも合ってる。いいね」そんなことを言いながらディーンはご機嫌な顔で食事をしている。
その合間にウィリアムから掛けられた言葉には「ミストナイトについては霧の帝都の伝承を読んだときに知ったんだけど、普通におとぎ話とばかり思っていたよね」と返しながらオイルサーディンに舌鼓みを打っていた。
ひととおり堪能したあとで「君たちは自分の意思で戦いに身を投じているんだろう? ならば私に口を挟む権利はないよ。
あえて気になるといえば戦うことでティアの野生を刺激している部分があるのではないかということぐらいだ」とディーンは口にする。

ティア・ヴァイル:それはティア自身も気になっていたところであるが、逆にそれを燃やして戦う形でもあるのでなんとも言えなかった。
「そこは、ウィリアムがうまく止めてくれていますから」
事実、我を忘れそうになったことも何回かあるが、その度にウィリアムが文字通り髪を引く形で押し止めてくれていた。

ディーン・ヴァイル:「そうかい。それなら、ひとまずは大丈夫じゃないかな」ディーンはオイルをスプーンで掬うと残りのパンにかけて食べはじめた。
その途中で「ああ、ウィリアムくんから見て職場でのティアはどうだい?」とウィリアムの方に水を向けた。

ウィリアム・ドウェイン:彼らの会話に耳を傾け相槌を打っていたが、水を向けられてパンをちぎる手が止まる。
「そうですね、繊細で丹念な、神経を使う作業をこなしてくれていて、ありがたいです。職人気質でしょうか。その分、人付き合いは時にきついようですが、少しずつ打ち解けてきていますね」
「書物・資料に対する真摯な姿は、彼女の美点です。うちの職場には必要だと思っていますよ」
真実そう思っているから出た言葉だった。図書博物館分室は、書籍の公開や来訪者の要望に応じたレファレンスを業務とする分対人スキルも要求されるが、それは氷山の一角に過ぎない。
やはり収蔵品の管理・保全が第一だ。その意味で彼女の指先と根気は貴重なものだとウィリアムは語った。
「ティアさんが望むなら、僕としてはミストナイトの件も含めてずっと見守りたいと思っています」僕はとても穏やかな気持ちでそう告げた。

ディーン・ヴァイル:ティアがウィリアムの言葉に気恥ずかしくなっている一方で、ディーンはふむふむとうなずいている。
「確かにティアは一族のなかでもかなりの器用さを持っているからね。儀式に使用するレリーフを作ってもらっていたことがあるよ」そしてディーンはパンを食べ終えてしまう。「うん、美味しいパンだった」
それから顔を引き締めて「ティアを見守ってくれるということは、霧の帝都における身元保証人を任せたりしてもいいということかい?」と尋ねる。
いまティアの身元保証人はこのディーンであったが、対人的には同じ人間であるウィリアムのほうがより信頼がおけるだろうという考えから来ているのだろう。

ティア・ヴァイル:ティアはそれよりも「ずっと」という言葉が気になっていた。いまは問題ないけれど、将来的には故郷に戻り婚約者でもある従兄と結ばれることになっている。
さすがにそのときが来たらミストナイトからは辞さなければならなくなるだろう。そのことをウィリアムに告げるべきか迷ってしまう。

ウィリアム・ドウェイン:「僕でよろしければ喜んで」即答した後「でも、僕みたいな若輩者でよろしいのでしょうか?
信頼に足る、と思って頂けたなら幸いですが、彼女の背負うものの重さすらちゃんと知らない僕でよいのですか?」でももしその信頼を受けたなら、決して裏切るまいと思った。
ティアの躊躇うよう表情に、首を傾げる。「ティアさんは、嫌かな?君の意志に反するようなことはしたくないのだけれど」気づかわしげに問うた。

ティア・ヴァイル:「あ、いいえ。なにかあるごとに兄さんを呼びつけるのは気がひけるから、ウィリアムが身元保証人になってくれればうれしいです」と返す。
ディーン・ヴァイル:ディーンが「うん。タイミングが悪いと来るのに数日かかってしまうこともあるからね。近隣の信頼がおける人物にもお願いしておきたい」と付け加え、
それから「ティアは必ず故郷に戻らなければいけないと思っているね? 前も言ったけれど、こちらのことは気にしなくていいよ。言い方は悪いけれど、ティアが不在であるほうが上手く片付く案件もあるから」と言ってきた。これは次代に一族を束ねることになる者としての意見だろう。「ええと、薬を……、あ。」

ディーン・ヴァイル:ディーンがこちらを見て「すまない、ティア。水飴を買い忘れてしまっていたから、変わりに買ってきてもらっていいかい?」
ティア・ヴァイル:と言ってお金を渡してきたので頷き、何号室であるかを確認してからその場をいったん辞した。ついでにおかわりのパンを買ってこようと思う。

ディーン・ヴァイル:ティアを見送ったディーンは再度ウィリアムに向き直ると
「ウィリアムくんに、ティアを抱える覚悟があるのなら、ティア・ヴァイルという娘に関して話しておきたいいくつかの事柄があるのだけれど?」と問いかけた。

ウィリアム・ドウェイン:ティアを見送ってすぐ告げられた言葉に、居住まいを正す。
「抱える、ですか。少なくとも、彼女が人生のパートナーを選んで歩むときに望めば、喜んでミストナイトとしての関係を解消するつもりではあります。それがこの世界にとってどうなのか……というのはさておきですが」
自分の言葉に苦笑する。「もしも彼女が誰も選ばず、ずっと戦い続けるというなら、生涯彼女の相棒でいることに何も異存はありません。それは、とても誇らしい」一旦言葉を切って俯く。
「けれど、それがもし、彼女の人生を狭めるなら、大切な願いすら苦しくなる」
「僕は女性を幸せにするのが上手くない男です。なのに僕が彼女の周りをうろついていたら、彼女は恋もおちおちできない」
初対面の人にこうも打ち明けていいものかと思ったが、彼女の身内で事情を知っている人間には正直に言っておきたかった。
「僕は弱くて愚かな人間です。それでも彼女をそれこそ命がけで守る覚悟はありますし、そうしてきました。僕の側にはとっくに覚悟はあるんだと思います。でも、彼女に自由でいて欲しい……なんでしょうね、これ」
苦笑が深くなった。「前置きが長くなりました。こんな僕でよければ聞かせてください」

ディーン・ヴァイル:「うん、長かったね。ちゃんと正直に自分の状態を説明できてるから、医者としては診察しやすいタイプの患者でありがたいけれども」とディーンは素直に返す。
「ええと、ティアはたぶん君には自分が先祖返りの個体であるということは伝えているだろうから、まずそこから入ろうか」そう言ってディーンは鞄から古い本を取り出す。
独特の言語が使われているそれの該当するページを開くと、ウィリアムに差し出す。色付きで描かれている人狼の絵の雰囲気はどこかティアに似ている。
「そこに描かれている耳の場所と形、毛並みとその色、それから瞳。要素のふたつ以上があてはまれば、先祖返りとみなされる」
「このなかで一番難しいのは瞳の色でね。なぜなら、それは祖先の狼と交わった人間が持っていた要素だったから、遺伝子に引き継がれてはいてもなかなか表には出てこない。
ここ百年の記録によると三~四人で、それでも他の要素を引き継ぐことはできていない」ディーンは一旦言葉を切り、水を口にした。

ディーン・ヴァイル:「だから、全ての要素を持ってティアが生まれて来たとき、一族は大騒ぎだった。さらには女性であることで、それらをすぐ次の世代に受け継ぐことができるのではないかという期待もかけられている。
…先祖の血が濃いということは、裏を返せばマイナス面も大きい。それは省みられていない状況だけどね」

ウィリアム・ドウェイン:「それは……彼女は、彼女自身の意志は」しばらく絶句する。所謂良家にはありがちな話だ。だが彼女のそういう姿にも期待されているとは。
頭を振って「マイナス面ですか。雨の日が辛そうなのは感じていましたが、体や心に辛いものを抱える形に?」

ディーン・ヴァイル:「うん、ティアは総じて不安定な精神を抱えている。ふだんは強い理性で抑えている狩猟本能のような部分が、ふとしたはずみで外れてしまったりもする。
雨の日が辛いように見えるのは、根っこの奥に自然への畏れがあるからなのだろうね」ディーンはため息をつきながらそう返した。
「それに加えて、先祖返りのためにひとりだけ他の子供たちと毛頭が違う状態だったものだから、言葉の刃で傷つけられることも多かったようだ。
ティアが物心ついたあたりに私は勉強で故郷を不在にしていて、助けになれなかったことが悔やまれてならない」

ウィリアム・ドウェイン:「先日も雷雨の日にとても辛そうでした。僕に爪を向けようとして必死で『離れてくれ』と。彼女は人といることが辛い時もあるでしょうね」
言葉を切って「同世代に傷付けられたなら余計に、距離を保とうとするかもしれない。どうしたらその苦しみを和らげられるでしょうか」

ディーン・ヴァイル:「一番いいのは、信頼できる他人を作ることだろうね。一族のなかでそれが出来ればまだ救いはあったのだろうけれど、色々あってあちらに留まることを難しいと感じたから、社会勉強という名目でティアには霧の帝都へ出て貰う事にしたんだ。
孤独をより深めてしまうのではないかという懸念はあったけども」

ディーン・ヴァイル:そこでディーンはまた息を吐いて、続ける。「ウィリアムくんに出会えたことでティアは少しずつ変わってきてはいるよ。だから、それだけで君が信頼に足る人物だということはわかる。……だから、そのままティアの手を掴んでいてやってくれないか」
ウィリアム・ドウェイン:「それは……彼女の騎士としてのパートナーであれば、一生その覚悟です。でもそうではなくて、伴侶として、ということですか?
もしそうなら、彼女とあなたの一族の意に反することになる。彼女は、それを望むでしょうか」
答えながら、自分に疑念が沸いた。今自分は何を口にしているのだ、と。彼女の一生を決めるようなことに自分が立ち入っていいのだろうか、と。半面、何か胸の奥でひどく熱い針のようなものが暴れているのに驚いていた。
「大切なのは彼女自身の幸せだ、とあなたは仰っているように聞こえます。そのあなたが彼女に自分が寄り添うのではなく、僕と彼女が、と仰るのですか」
ひどく不思議な感じがした。予感もあった。圧倒的な優しさや、深い愛情を、目の前の青年に感じた。

ディーン・ヴァイル:「別に伴侶とかそういう畏まった関係で考えなくてもいいよ。まあ、その方が気兼ねなく一緒にはいられるだろうけど」とディーンは苦笑する。
「私も結局は一族に連なる者だからね。親にはティアを娶ってヴァイル家の地位をより強固なものにしろと言われているけども、それを実行する気はさらさらないよ」
「そして私はティアを故郷に戻したくはない。ずっとこの霧の帝都に留まっていて欲しい。だから、私にとっても信頼のおける他人の手は必要なのさ。半分はティアの幸せのため、もう半分は私の打算も入っている。
別に私は善人というわけではないよ」と返したところでその耳にティアの足音が届いてきた。
「そろそろティアが戻ってくるね。どうやらパンのおかわりまで買ってきてくれたようだ。いや、ありがたい」
そう言って笑い「一族のことはほんとに気にしなくていいし、ティアも君を拒みはしないと思うよ。まあ、すぐに答えが出るものでもないから気楽に構えるといいかな」とだけ告げて口を閉じた。

ウィリアム・ドウェイン:「わかりました。これまでと変わったとしても、どんな形であれ、大切にします」そう答えたとき、ノックの音が響いた。
名を告げる彼女の声に立ち上がり、ドアを開けて迎えた。彼女と目が合った時、気恥ずかしさが少しあって上手く立ち回れた気がしなかった。

ティア・ヴァイル:ティアがノックをしたあと、ドアを開けてくれたのはウィリアムだった。その瞳が揺らいでいたような気がしたが、深く気にすることはせず中に入る。
そしてディーンに「はい、水飴買ってきました。それと、さっきのパンが気に入ったみたいだったから、ふたつほど買ってきました。どうぞ」と包みを渡す。

ディーン・ヴァイル:「ありがとう。ティアは気が利くね。つぎは自分でも買いに行ってみるよ」と笑ってディーンはそれらを受けとってから
「ああ、そうだ。ウィリアムくんにも私の連絡先を渡しておくよ。あと一週間はここにいるから、何かあれば訪ねてくれていい」と言って紙にペンを走らせ、折り畳んで渡していた。

ウィリアム・ドウェイン:連絡先を受け取り「僕もお渡ししておきます」と一枚紙を出して書きつけ、ディーン氏に渡した。
「多分今夜か明日の夜あたり、戦いになる気がします。終わったら、また良かったら食事をご一緒しませんか? 今度は僕が作ります。鮭のクリームシチューなどいかがですか」
ようやく笑う余裕ができた。やはり料理の話は自分を穏やかにするようだ。料理人になるべきだったのかもしれないが、仕事にするよりも周りの誰かの笑顔のほうが大事だったし、これでいいと思う。
「肉のほうがお好みだったら、ローストビーフを焼きますよ」

ディーン・ヴァイル:「えっ、ウィリアムくん料理できるのかい?! 材料費出すから是非とも両方作ってくれないかい」と目を輝かせてディーンが言う。
ティア・ヴァイル:一回霧の帝都で何年かを過ごしているこの従兄は、すっかり濃い味付けに慣れてしまったので故郷のそれを物足りないと愚痴をこぼしていたから実に渡りに船状態なのだろう。
ウィリアムも笑顔を見せていてなんとなく安心すると同時に、戦いという言葉に気をひきしめる。この世界で足を踏みしめて歩きつづけるためにも、立ち向かわなければならないのだ。

ウィリアム・ドウェイン:「ああ、ではおもてなししたいですし、材料費は結構ですので、気に入ったパンを多めに買ってきてください。もしワインがお好きならそれもお願いします。ローストビーフと鮭のシチューとサラダ、パンということでいかがですか?」
未来を想おう。世界と人の笑顔を想おう。
それがとこしえに続くかは別として、美しいまま終わらせるなどというエゴで終わることのないように、最後まで足掻いて足掻いて。笑うのだ。
「楽しみにしています。じゃあ、明後日だと準備が間に合わないし、明々後日にしましょうか。いい肉を予約してきましょう」

ディーン・ヴァイル:「パンとワインね…わかった、ワインは伝手を辿ってちょっといいのを用意するようにしておくよ。待ち合わせはまたあの広場でいいのかな。明々後日を楽しみにしているよ」
ティア・ヴァイル: ディーンはすっかり上機嫌で、ティアにはその日従兄が美味しい料理に舌鼓を打つであろう様が容易に想像できた。それから時計をみて 「話もまとまったみたいですし、今日はそろそろここからおいとまさせていただきますね」とディーンに告げる。
ディーン・ヴァイル:「わかった、引き留めてしまってすまないね。暗くなってきているからちゃんとウィリアムくんに送ってもらうんだよ」
ティア・ヴァイル:ディーンにそう返されたので、素直に頷く。「それじゃ、行きましょうか、ウィリアム」
ウィリアム・ドウェイン:「長々とお邪魔しました、これからもよろしくお願いいたします」ディーン氏に一礼して荷物を手にする。
「そうだね、行こうティア。ああ、シチューに人参を入れても大丈夫かい?それだけは聞いておかないと」他愛もない話をしながら彼の部屋を辞した。

ティア・ヴァイル: 「大丈夫よ。兄さんも濃い味付けのほうが好みなこと以外は好き嫌いもないと思うわ」ささいなことでもちゃんと確認してくれるウィリアムの心遣いが嬉しくて、顔を緩めながら霧にけぶる夜の街へと歩きだしていった。



*****************************

《第三章》2


アリアナ・ローレンス:今日も夢にあの男の人が出て来た。それにとても可愛らしい女性も。二人が互いにどこかままならないものを抱えているようで胸が痛んだ。
もしかしてもしかするんだろうか、なんて想像をたくましくしながら、目を覚ます。
鎧戸を開けると比較的いいお天気で、朝のミルク色の霧に優しく陽が差して心地よかった。それだけで気分がよくなって、晴れやかな心地で身支度を整えて朝食を作る。
昨日は二度寝をラウに起こしてもらったあと、普通に仕事に出かけて帰ってきて、またばったりと寝てしまった。
けれどラウのおかげでとてもよく眠れた気がする。疲れも取れている。 いざ!フリーマーケットという戦場へ赴くべし!!……本物の戦場も知っているけれど、バーゲンセールやフリーマーケットの始まりの時間はまさに戦場だと思うのだ。

時間通りに起きだしてきたラウと一緒に朝食を食べて、大きめの袋と籠をもって私たちは公園へとでかけた。既に公園には多くの人が集まっている。出展者も、客も、どこかうきうきした表情に見えた。
「じゃ、わたしは服のお店をざっと回るから、ラウも服や必需品があったら買っちゃって。もし時間が余ったら本とか好きな物をみてるってことだったよね。
11時半に広場の噴水の前で待ち合わせ。お昼のものを買ってどこかで食べる、でいいよね」

フラーウム・アルブス:「そうだな。ただ、午前中からあまり買い込みすぎるなよ」と念を押す。
こうみえてかなり腕力のあるアリアナは、勢いのままに大物を買ってしまってそれを気にせず持ち運んで周囲をぎょっとさせたりすることもある。
見知らぬ者が多い土地とはいえ、極力目立つのは避けたほうがいい。
「わかった」と頷くアリアナを見たとき、にわかに周りが慌ただしくなった。どうやらそろそろ開始時間らしい。「じゃ、またあとで」そう言ってアリアナとは別の方向に歩き出した。
広場の一角のみだろうと思っていたそれは意外と大規模で、野菜などを売るような朝市と合体している状態だった。
人の波に押されながらもフラーウムは鮮度が良く塩漬けにしても持ちそうな食糧や、先日壊れて若干困っていた小物を購入していく。
本に関しては大体が図書博物館分室で閲覧すればいいという考えのようで、あまり多くは売られていなかった。それでも収穫があっただけいいといえるだろう。
そうしているうちに腕時計の時刻はあっというまにもうすぐ11時半であることを告げてくる。フラーウムは噴水の前にやってくると、近くにあったベンチに腰を下ろしてアリアナを待った。

アリアナ・ローレンス:ラウに呆れられない程度の買い物量にしようと思いつつ賑わう人混みを歩く。早くも値段交渉する声が聞こえて来て慌てて目星をつけておいた一角に歩み寄った。
「わあ」この世界の装束は自分のいた学園都市とは異なるのだが、総じて布の量が多い。簡単なスカートなら縫えるが、さすがにこの世界で着たら違和感がありすぎるだろう。
早々に自作を諦めたわたしにとって、高値過ぎた服が、お手頃価格で並んでいる光景は天国だった。
気になった服を手早く掴み、店主に声をかけて片隅の共同試着コーナーで着てみる。さて、ここからが正念場だ。私は値切りもとい交渉を開始した。
大きな荷物を抱えつつ、慌てて噴水の前にたどり着いた時には11時半ぎりぎりだった。
「ラウ、お待たせ!」少し呆れられている気がするけれど、気にせず「さ、お昼買いに行こう?」とわたしは声をかけた。

フラーウム・アルブス: 「……荷物、見ててやるから、さっさと置いて、アリアナから先に昼飯を買ってこい」案の定大荷物となっているアリアナを細目で見ながらフラーウムはそう返した。
アリアナ・ローレンス:「ごめーん。ありがとう!」荷物を置いてお財布をもって駆け出す。ラウの「転ぶなよ」という声が聞こえたけれど大丈夫、っとと。
手早く軽食をいくつか仕入れて、持ってきた籠に入れてもらうと引き返した。スコーンも買ったのは、あの夢のせいかもしれない。飲み物のカップは手に二つ持って、ラウの目の前までこぼさずに運んだ。
「ただいま。ねえ、公園の奥にいかない?ここだと埃っぽいし、ベンチも空いてないから。人通りが少ないところに行けば荷物も置き引きされにくいしね」
我ながら慎重!えらい!という顔になっていたと思う。

フラーウム・アルブス:えっへん、というような顔を見せてアリアナの言った言葉には確かに一理あったので、フラーウムは「そうだな」と言って立ち上がる。
幸い自分の分の荷物はそこまで多くはなかったので、アリアナの分もなんとか持つことができた。短時間ならなんとかなるだろう。「先導して適当な場所を見繕ってくれ」

アリアナ・ローレンス:「わかった!丁度いいあずまやがあるからそこまで少し歩こう。そこが埋まっていても、近くに幾つもテーブルとベンチがあるから」
屋台の手伝いやらで公園にくることも多かったので、意外とこの公園内のベンチの配置は頭に入っている。フラーウムを先導して歩き出し、ほどなく小さなあずまやに着いた。
周囲に人影はなく、穏やかな木漏れ日が降り注ぐ心地の良い場所だ。後からくる彼を振り返って指さすと頷いたので、急ぎ足で飲み物をあずまやのテーブルに置くと、彼に駆け寄って荷物を受け取った。
「お野菜に保存食の瓶!重いよね、ありがとう!」

フラーウム・アルブス:「アリアナは少し自分の腕力を過信してないか……?」
アリアナに荷物を受け取ってもらうと、一気に重量が減ったせいで一瞬体のバランスが崩れたがなんとか持ちこたえた。
「まあいい。俺も自分のを適当に見繕ってくる。腹が減ったら先に食べはじめてくれていい」そう伝えて周辺を見回しこの位置を覚えてから、まだざわめきの残る広場へ戻っていく。
とはいえ、そこまで食欲があるわけでもなしと考えたところで先ほとアリアナがスコーンを買っていたことを思いだし、根菜の入ったそれにするかとそれらしき屋台を探し、買い求めていった。

アリアナ・ローレンス:彼を見送りつつテーブルを整え始める。といっても持参した大きめのハンカチをあずまやのテーブルに広げて、その上に買ったものを並べる程度だけれど。
四隅に布が飛ばないように飲み物と食べ物を置いて完成だ。
心地よい風が吹く。わたしはベンチに座ってあくびをした。


???:あくびをしたところで、誰かに見られてることに気づく。見回してみると、あずまやの外の木陰に自分と同じ年頃の少女がひとり。
「...いいなあ」
少女の口から、ためいきがこぼれた。彼女の熱っぽい視線は、テーブルの上の飲み物食べ物に注がれている。

アリアナ・ローレンス:慌てて口を閉じたが、可憐な美少女に熱っぽい視線で見つめられていた……テーブルの上の食料が。
無邪気さすら感じられるその様子に、つい声をかけてしまう。
「あ、あの、こんにちは」視線は紅茶とスコーンに向けられている。
「お腹、すいてるんですか?」我ながらド直球の問いだと思ったけれど、何となくこの少女が初対面には思えなかったのだ。どこかで見かけて、一緒にお茶を飲んだような、そんな感覚。
出会ったことがありはしないのに、とても親しい気配を感じていた。「良かったら、スコーン、一個食べます?」調子に乗って買ったのが彼にバレる前の証拠隠滅と言わなくもない。

???:「食べていいの?」少女はあずまやの入り口までくると、少々遠慮がちに顔をのぞかせた。
「おなかがすいてる、というよりも、なんかちょっとつまみたいっていうか、あのお店の新作スコーンを味見してみたいなっていうか、えっと、そのー」と、彼女はもぞもぞと言い訳めいたことを呟く。
きちんと手入れのされたドレスと髪から察するに、貴族のお嬢様が市場にお忍びで訪れたのだろう。
「こう、ちょっとむしゃくしゃしたことがあったから甘いものでも食べたいなって思ってたときに、美味しそうなスコーンをみかけて、お邪魔かなとは思ったんだけど、、、」

アリアナ・ローレンス:見るからに育ちの良さそうなお嬢様もきっといろいろあるんだなと勝手に同情し、わたしはベンチを指さして少し席をずれた。
「ここのお店のスコーン、香りがめちゃくちゃいいですよね。好きなのをひとつどうぞ。もう少ししたら連れがきますけど、気にしないでいいですよ」
それにしても、どこで見かけたのだろう、こんな上流階級の女性と出会うとしたら、占いをしているときにお忍びで来たお客様とかだろうか。
薄暗い一角で占うから顔がおぼろげにしか見えてないし。意外と上流の女性の占い需要で儲けているわたしは一旦そう結論付けた。

???:指し示されたベンチに彼女はちょこんと座り、スコーンにさっそく手を伸ばす。
「これはベリーのスコーン?」スコーンを割ろうとしたところで、いったん手をとめ「あの、もしかして、クローテッドクリームとか、ジャムとか、あったりします?」と少々遠慮がちに尋ねた。

アリアナ・ローレンス:遠慮がちながらも欲しいものがあるか尋ねる姿勢がとても可愛くて「うふふ、ちゃんと買ってありますー!」とクリームの小瓶を差し出した。
「あっ、わたしはアリアナ。あなたのお名前を聞いてもいいですか?」とクリームをすくう木べらを添えながら尋ねた。

???:「ありがとう!」小瓶を受け取ると彼女は嬉しそうに素直な笑みを浮かべた。
さっそくクリームを木べらでたっぷりすくってスコーンにのせつつ「名前か…名前、そうね、じゃあ、私のことはロイカって呼んで?アリアナさん」いそいそとスコーンをほおばると「おいしいっ」と、弾んだ声で。
「アリアナさんも、あたたかいうちに食べて?それとも、お友達を待っているのかしら」ひと口食べて少し冷静になったのか、彼女はそうアリアナに話しかけた。

アリアナ・ローレンス:「ロイカさんね。よろしく」偽名かなと思いつつそう呼んだ。彼女の笑顔が眩しくてそんなことはあっという間に飛んだけれど。
「うん、連れと一緒に食べたいからお茶だけ飲むね」段々口調が砕けてきているが気にせず「わたし貴女に前に会ったことあるような気がするなあ」

ロイカ:「ゴメンなさい。あんまり美味しそうだから先に食べちゃった」少しきまり悪そうに言うものの彼女は食べるのはやめない。
「”実際”会ったことはないと思う。カフェのマスターにあなたのことは聞いているけど」もごもご言いつつ彼女は口を手で隠す仕草をする。「あの、お茶ももらっていいかな?」

アリアナ・ローレンス:「お勧めしたのだからどうぞどうぞ」上品だが気持ちのいい食べっぷりだ。ただし続いた言葉に唖然とする。
「カフェのマスターって……えええ!?」混乱しながら自分のお茶を差し出す。「これでよかったらどうぞ。ミルクで煮だした紅茶です」
カップを差し出して唸る。「えーと、あの?もしかして」そういえば夢の中に出てきた高貴な少女は目の前の少女に瓜二つではなかったか。
そしてカフェといえば恐らくカフェー・マスカレェド、そのマスターなら良く知っている。「もしかして……女王様で、いらっしゃる?」

霧の女王:「あ、ありがとう」差し出された紅茶を急いでひと口飲みこむと、やっとまともに話せるようになったようで、口に当てた手をおろす。
そしてえへんと咳払いをして。「あー、バレちゃったか。これは視察です。視察なので、執務をさぼってるわけではありません」と、かしこまった口調でアリアナに答える。

アリアナ・ローレンス:変な声が出そうになって口をふさぎ、慌てて立ち上がる。「そうとは知らず、失礼いたしましたっ。えっと、お一人でいらしてるのですか?」
思わず周りを見回すが、私に見つかるようなへまをする護衛はいないのかもしれない。その代わり、聞きなれた足音が近づいてきていた。

霧の女王:「ひとりよ、ひとり。だって…」そう言いかけて、辺りを見回す。「あ、お連れの方が戻っていらしたようね。お邪魔だと思うから、もうおいとましようかしら」そう言って立ち上がる。
スコーンはいつのまにか、すっかりたいらげたようだった。

フラーウム・アルブス:野菜のスコーンを何種かとくるみパン、それからおかわり用にと紅茶を買ってあずまやの方へとに戻っていく。
アリアナの他にもうひとり誰かがいることに気づいた途端、にアリアナが慌てて立ち上がった。飲み物をこぼしでもしたのだろうかと少し早足になって近くに寄る。「アリアナ、何かあったのか?」

アリアナ・ローレンス:「いえ、あの、お邪魔では全然ないです!」変な言葉遣いだと思いつつ「あの、連れも”そういう連れ”なので、多分陛下はご存知でしょうから。ご紹介します。それに」
近づいてきたフラーウムに手を振ってから「スコーン、良かったらまだありますから!チョコチップですけど」
「ラウー!大丈夫だけどちょっと急いで来て?」足早に戻ってきてくれたラウを手招きして、立ち上がった少女をそっと失礼のないように手で指し示す。
小声で「あのね……この方、霧の都の女王様。カフェのマスターから私たちのこと、お聞きになったみたい」

霧の女王:「チョコチップ!」そう素で声をあげるが、彼女は咳払いして「でもそれは、おふたりの分でしょう?私が食べちゃうわけには」と言いつつ、視線はちらちらとテーブルの上に注がれている。
アリアナ・ローレンス:そっと小声で「ちょっと多めに買ってしまったので。もしお口にあうなら是非」にっこり笑って紙包みを女王様の前に置いた。
「できれば少し伺いたいことがございます。情報料ということで、お納めいただけますと嬉しいです」にっこりと笑って見せた。

フラーウム・アルブス:急いで戻るとこちらを見ながらアリアナが指し示した先には、高貴な者なのだろうという雰囲気を備えつつもまだ年若いと思われる少女がいた。
そのまま霧の女王であると告げられ内心驚くが、礼を失してはならないだろう。
アリアナが女王にやや多めに買っていたらしいスコーンを分けている間に手に持った飲み物や篭を手早くそばのテーブルに置いてしまい、アリアナの言葉を聞きつつまだ手をつけようか迷っている女王の前に出て跪くと
「お初にお目にかかります、霧の女王陛下。フラーウム・アルブスと申します」と名乗った。

霧の女王:「ごきげんよう、フラーウムさん。こちらこそ、はじめまして」女王は長いドレスの裾を軽くつまんで略式の礼をすると、アリアナに向き直る。
「えっと、聞きたいことって?」小首をかしげて、尋ね返す。

アリアナ・ローレンス:少し迷ってから「実は夢で赤い薬を飲む人を観ました。フラーウムも薬の夢を見ています。恐らく戦いを予感させる夢だと思います。
薬を渡していた人は今朝も夢に出てきて、とても高貴な印象でした。あれが、もし凝華の怪物を作る薬なら、解毒剤は本当にないのでしょうか」

霧の女王:女王は先ほどとは全く異なる沈鬱な表情を浮かべ、彼女に答える。
「解毒剤はないわ。あったとしても無駄だと思う。だって、人は望んで、凝華の怪物になることを選択するのよ。あなたには信じがたいことかもしれないけれど」

アリアナ・ローレンス:夢の中であの人は望んで薬を受け取って、水もなしに一息に飲み込んでいたようだった。「いいえ、そういう絶望があることは、少しは理解できます。
……驕っていたかもしれません。もしかしたら救えないのだろうか、と。確認できて、良かったです」
一礼してフラーウムに視線を向けて「私と彼は今、ここにいます。恐らく次の戦いはまもなくだと思います。全力を尽くしますが、やっぱり気が重いのは確かです。陛下の騎士とともにあるのは心強いですが……」
目を伏せた。フラーウムなら何を陛下に尋ねるだろうと思いながら。

フラーウム・アルブス:フラーウムは内心アリアナの質問に驚いていた。彼女が「怪物」となった人間をも救えないかと考えていたことに。
しかしすぐにこれまでのアリアナの行動を思えば至極当然のことなのかもしれないとも思い直す。それは驕りでもなんでもなく、ただ手を差し伸べたいという単純な思いからくるものなのだ。
「……女王陛下は、この霧の帝都、それから桜の帝都というこのふたつの世界の平和について、どうお考えになっていらっしゃるのでしょうか」そんな言葉が口を突いて出た。

霧の女王:「それはとても難しい質問ね」女王はフラームスに向き直り、まっすぐ彼の目を見て答えた。
「あなたたちも知っての通り、この世界は危機に瀕しているわ。たとえ騎士団やあなたたちみたいな生徒会のみなさんがよく戦ってくれたところで、この平和も長くはもたない。早く彼が私の願いを聞いてくれたらよいのだけれど」
女王は深く深くためいきをつくと、立ち上がった。
「おいしいスコーンをごちそうさま、誓約生徒会の騎士様。あなたがたが幸運に恵まれることを祈っています。戦いが終わったら、今度は私が宮殿でのお茶会にお招きするわ」
そういうと彼女は立ち上がり、いつのまにか深くなってきた白霧の中に姿を消した。

フラーウム・アルブス:隣にいるはずのアリアナさえも隠してしまうほどの深い霧が晴れると、そこにもう女王の姿はなかった。
言葉のなかにあった「彼」とは、やはり昨夜夢に出てきた男性のことなのだろうか。そんなことを考えていると、アリアナがフラーウムの服の裾を掴んでいることに気づく。
「どうした?」

アリアナ・ローレンス:「良かった。ラウまでいなくなっちゃうかって思った……それだけ」
力を込めて掴んでいた手をそっと離す。自分がひどく幼く思えてためいきをついた。
色々なことが脳裏を駆け巡って苦しいけれど。「お腹、すいちゃったね。冷めちゃったけどごはんを食べよう?」

フラーウム・アルブス:「いなくなりはしない」と呟いて、昼食を食べてしまおうという提案に頷く。
「しかし、だいぶスコーンを買い込んでいたようだな? 半分以上は女王が食べていったみたいだが」

アリアナ・ローレンス:「うん」彼の呟きが心にわだかまる苦い思いを清めてくれた。 「え?そ、ソウカナー、ココニハ ヒトツシカ ナイヨー」
ぱぱっとスコーンの紙包みをまとめて「ほら」と残った一個のスコーンを見せる。彼はとても呆れた目でこちらを見ている。
「あっ、わたし女王様にお茶を差し上げちゃったから、自分の分がないやー。カップを返しがてら新しいの買ってこようかなー」
デポジット式の陶製カップなので、同じ店でおかわりの時はカップ代も引かれるしー、とか言いながらそっと立ち上がってじわじわと後退する。「ラウ、荷物見てて?」

フラーウム・アルブス:「……俺は俺で自分のを買ってきてる。だからまず、そこに座って残ってるのからちゃんと飲め」
アリアナは自分が嘘やごまかしが苦手だということを知っているくせにこういうことをしてくる。
「俺の買ったものからも適当につまんでいい。余ったら持ち帰ることになるだけだしな」

アリアナ・ローレンス:「はーい、いただきます」退路を断たれたので大人しく座る。
二つ買った紅茶のうち、手付かずのカップを手にして口に含む。ミルクと紅茶の香りが穏やかな心地にさせてくれた。
ミートパイも具が思ったよりたっぷり入っていて、思わず食べるのに夢中になった。「美味しい」
ミートパイを食べてから、木漏れ日の向こうの喧騒に耳をそばだてる。出し物に群がる子供の声、フリーマーケットの呼び込みの声、ざわめきが遠くても届く。
「ねえラウ。私はこうして美味しいものを作ったり、それを美味しいねっていいながら食べたりする幸せを守りたい」

フラーウム・アルブス:アリアナと同じように喧騒を聞きながら「……そうだな。そういった当たり前の幸せこそ、受け継がれていくべきだ」と返してわずかに表情を緩めると、
そのままくるみパンを口にして紅茶で喉を潤した。

アリアナ・ローレンス:「うん、護ろうね、望む人がある限りは」
彼がそれを当たり前の幸せと言ったことがとても嬉しくて。今それを感じていてくれるならいいと思いながらお茶を一口飲んだ。
「で、午後なんですが。上手くお買い物したので、資金は意外と潤沢です。ラウ、なんか欲しいものある?」

フラーウム・アルブス: 「辞書だな」とフラーウムは即答する。なんらかの力で人々が話していることは解るのだが、読み書きはさすがに参考書がないとまだ手間取る状態だった。
「あ、自分の金で買うからな。本を置いてるところに聞いてみたら、学生が使ってたものあたりが欲しければ古本屋のほうがいいという話だった。だから午後はそちらに行きたいんだが、いいか? ……まずこの荷物をいったん家に置いてから、だな」
ベンチ一個分を埋め尽くしている物たちをぼんやり眺めながらフラーウムは言った。

アリアナ・ローレンス:「うん、買おう。それは有難いな。わたしのは簡易版でいいから」
荷物を見やる彼の遠い目に冷や汗を流しつつ「うん、そうしよう。そしたらお夕飯のものも帰りがけに買えるし。今日はお肉屋さんの特売日だから!」そう答えるのだった。
何だか夫婦みたいだなと思いつつ。

フラーウム・アルブス:「肉か、たまにはスペアリブもいいかもしれないな」そんなことを言いながら
「アリアナのカップはデポジット式だったか? 待ってるから返してくるんだな。……余計なものは買ってこないように」
そう釘を指し、ほかのものを手早くまとめてしまう。

アリアナ・ローレンス:「スペアリブ!おいしそうだね」うきうきと片付けして「うん、戻してくるね!……うう、わかってますよー」
カップを二つ手にもって、わたしは駆け出した。「転ぶなよ」というラウの声をまたしても背後に聞きつつ。どんだけ危なっかしいと思われてるの?と笑いながら。

フラーウム・アルブス:駆け出したアリアナに声を掛けて見送ると、吹き抜ける風が頬を撫でていった。次の戦いがすぐそこであるときに、どこか穏やかな時間を過ごせていることを少し不思議に思いながらフラーウムはベンチに座ったまま軽く目を閉じた。
アリアナ・ローレンス:お金を受け取って戻ると、わたしを待っていたフラーウムが私の足音でふっと目を開く。そんな小さなことが嬉しくて、笑う。
「お待たせ、行こう!」荷物を手に、わたしたちは家路を辿るのだった。
たとえ今夜戦場に赴くとしても、世界の未来を想って歩もう。貴方と一緒に。




   《ログ2 へ》 《ログ4 へ》 《セッションログ トップに戻る》 《トップページに戻る》