『銀剣のステラナイツ』~星屑舞う学園祭~

 

 

監督:

第一章は終了。続いて第二章、紫苑ー冬海ペアからとなります。

 


 

紫苑ー冬海ペア、第二章イントロ

 

冬海:

 きょうは学園祭の前日ということもあり、最後の準備にてんやわんやなところも多く昨日と変わらぬ喧噪があたりを包む。

 冬海も自分の所属する研究室での打ち合わせを終え、昼にはまだ少しばかり早い時間に食堂への移動を開始した。

 基本的には高等部以上の学生・教員用となっているが、中等部以下も給食のない日や土曜の午後に残ることがある場合などは使用していいことになっている。

 給食は業者が作っているものを運んできているため食べる頃には冷たくなっていることも多いが、食堂であれば職員によるできたてを提供してもらえるというのもあってか中等部以下の学生にとってはある種のあこがれの的であるらしい。

 ちなみに、食堂は購買部も兼ねており、職員手作りのパンやおにぎりが多数揃えられている。それくらいには調理設備が整っており、働いている職員も多いということだ。

 

 食堂に着くと、中等部の学生たちの姿がちらほらとあった。きょうは全校的に自由時間であるため、やはり早めに食堂や購買部に来ようと思う者が多いのだろう。冬海はその中に見知った顔を見つけ、声をかける。

「今日の夜は家に帰るんだったっけ?」

「げ」

 答えより先にしかめっ面を返してきたのが今年中等部一年になった妹、春香である。

「そういう反応される覚えはないんだけどな」

「自分の胸に聞いてくださーい」

 そう言いながら春香はさっさと食券を買う列に並んでしまったので、冬海も慌ててそれに続く。

「あ、せっかく会ったんだから今日はおごってよ」

「さっきしかめっ面で対応して来た人を妹と思いたくないんですが」

「う、ごめんなさい。おごってくださいお兄様」

「そこまでおおげさじゃなくてもいいんだけども」

 そういうやりとりをしているうちに食券を買う番になる。

「今日の日替わり献立にある鶏の唐揚げ御膳がおいしそうなの!」

「はいはい、唐揚げ御膳ね」

「ありがとうお兄様!」

 春香の分の食券を先に買って渡し、冬海は一瞬迷ってからビーフシチューセットを選ぶ。

 カウンターに食券を出すと、まるで先に見通しているのではないかという速さで注文したものが出てきた。

 

 人はまだまばらなのだが、テーブルの席はそこそこ埋まっている。春香と冬海はそれぞれ向かい合って座ることにした。

「いただきまーす! ……ん、おいしーい」

 唐揚げをひと口ぼおばり、春香はにっこりとする。

「給食のからあげも美味しいけど、ココのはやっぱりひと味違うと思うの!」

「そうだな」

 ちぎったパンをシチューにつけて、冬海も食べ始める。前日から仕込んでいるという評判のビーフシチューは来るのが遅くなるとなかなか食べられないため、今日は運が良かったと言えるだろう。

「そういえば春香、父さんに連絡入れてないだろ」

「う、お母さんにはちゃんと入れてるんだけども」

 アーセルトレイ公立大学の学生寮は親元からの早い自立を促す意味で中等部から開放されており、春香は中等部進学の時点で寮での生活に入ることを希望した。

 それに対して父親が出した条件は『一週間に一回はメールもしくは電話で連絡をすること』であった。

「電話だとお父さんはなかなかつかまんないんだよねー」

 考古学者であるふたりの父親は一年の半分以上を調査であちこち駆け回っているため、電話が通じない地域にいることもある。

「メールにしてもお兄ちゃんは書くこと色々あるんだろうけど、わたしはそんなにないからなあ」

「『元気です』って一行だけでも十分だと思うよ。父さんも母さんにそれだけメール送ること多いみたいだし」

「ぶっ、自分はちゃんと近況報告しろって言っておいてー!」

 

 そんな会話を繰り広げていると、冬海の背後から声がした。

「ここ、いいかな」

 

紫苑:

「あ、連れがいるのなら、あとでいい」

わりと混んでいる食堂で、たまたま見知った顔の横の席が空いていたので、声をかけたのだ。今夜の待ち合わせ場所も決めなくてはならない。

 

冬海:

「あ、じゃあまたあとで…」

と言い終える前に

「いえ、ぜひご一緒に!」

と春香が相羽さんに声を掛けた。見れば心なしか目が輝いている気がする。

「……妹もこう言ってるので、良ければ一緒に食べませんか?」と言い直した。

 

紫苑:

「ああ、じゃあ、それなら」

せっかくの誘いなので、昼食用に確保してきたオムライスのトレイをテーブルに置き、彼の横の席に座った。

「妹さん?」

そういえば、彼のことは名前と学科以外、まだ何も知らないことに気づく。

 

冬海:

「ええ。今年から中等部に」

と僕が返すと、

「はじめまして、篠原春香です」

と春香が礼儀よく自己紹介する。それから声を潜めて

「あの……、相羽紫苑さん、ですよね?」

と相羽さんのフルネームを口にした。何故春香がそれを知っているのだろう?

 

紫苑:

「うん。そうだけど」

オムライスにスプーンをつっこんだところで、思わぬ言葉に手が止まる。しかし、なぜか自分の名を知ってる人に出くわすのは、そこまで珍しいことではない。

「君が話した?」

いちおう彼にたずねては見るものの、彼の表情を見るにそういうわけでもなさそうだ。

 

冬海:

「わぁ、やっぱり! お会い出来て嬉しいです」

春香が小さくはしゃいでいる。相羽さんに話した?と聞かれたので首を振り、

「妹とは今さっき顔を合わせたばかりですから」

と返す。それから春香に

「何で相羽さんのことを知ってるの?」と訊ねると

「相羽さん、ここじゃ結構有名なんだよ」と言われる。

「あっ正しくは一部の女子生徒に、かな。文武両道だし、王子様みたいだって」

「そ、そうなんだ……」

ちらりと相羽さんを見ると、確かに整った容姿をしているので女子に人気は出そうだ。

「演劇部の人が男性役でスカウトしたいって言う噂も聞いたよ」春香は実に楽しそうに話してくれる。

 

koto

そっとお二人にブーケをw「ブーケ」「ブーケ」個人的には春香さんにも投げたいくらいだw

 

紫苑:

「馬術部だと馬の世話で忙しいから、演劇部を掛け持ちするのは無理だな」

王子様とかいう耳慣れない言葉が聞こえた気がしたが、聞こえなかったフリをする。

「篠原くんはなんか部活やってるの?」

あまり体育会系という感じではないという印象だ。

 

冬海:

「僕ですか? 空き時間は図書館とかでの調べ物を優先したいんで特に部活には入ってませんね」と返す。春香は変わらず目を輝かせて

「去年の学園祭で馬術部は馬術演技の披露をしてましたけど、相羽さんもそのメンバーにいましたよね。今年もやられるんですか?」

と質問していた。

 

紫苑:

「いや、今年はやらない。馬術部の演技はあるけれども」

きらきらした期待に満ちた目でそう聞かれると、少々心が傷んだ。

「図書館での調べ物?何か特に興味があることとか?」

そういうわけで、あの時書庫にいたのだな、と少々納得する。

 

冬海:

「そうなんですね。ちょっと残念ですけど、いま相羽さんとお話できたので十分です!」

と春香は返し、僕に対しての質問も

「お兄ちゃんはお父さんの影響で、昔の歴史や伝承とかを調べるのが好きなんですよ。まだ家にいた頃はよく帰りが遅くなってお母さんに心配かけてましたね」

と代わりに答えた。

 

紫苑:

「お話って、いや別に話くらいならいつでも聞くけれども」

春香ちゃんの真っ直ぐな目線に少し気圧され、そんなに大げさに喜ばなくてもとは思う。

「そういや、家にいた頃って、今はふたりとも学生寮に住んでるの?」

今夜の待ち合わせ場所を考えなければならない。自分も一人部屋とはいえ寮ぐらしなので、さすがにひと目が多い寮の自分の部屋に、今夜彼を招くのは気が引けた。

 

冬海:

「本当ですか!? やったー!」

相羽さんの言葉に春香がますます喜んでいる。しかしあくまで周りには目立たないようにしているところになんといえばいいのか良く解らない気持ちになっているところに住まいを聞かれ

「春香は学生寮ですが、僕は大学に進級してからは父親が資料置き場に借りてるアパートに住んでます」

と。なかなか整理できていないことを母親に怒られた父親からこっちに住んで整理してくれない?と頼まれたのだ。学生寮暮らしのときも半分くらいは寝に帰っているようなものだったので渡りに船ではあったのだ。

 

紫苑:

「春香ちゃんといっしょに住まないの?」

2人に向かって問う。この年頃の女の子には、それは少々抵抗があることかもしれない。そうこうしてるうちにオムライスを食べ終わった。今夜の予定はあとで連絡しておけばいいだろう。

「じゃ、あとはメールで。学園祭の準備で忙しいかもしれないけれど」

 

冬海:

「お父さんの資料置き場、八割が本と調査で手に入れたものとかで埋まっててベッド周りと食事するスペースくらいしか床が空いてないんです……」

恥ずかしいと言った表情で春香が相羽さんに答えた。一応片付けてはいるのだが、その端から増えていくのでもしかしたらもう一部屋借りる羽目になる日もそう遠くはないのかもしれない。それから相羽さんがオムライスを食べ終わり、あとはメールでと言われて頷いたところに

「あ、お兄ちゃんと相羽さんメールアドレス交換してるんだ、いいなー」と春香が言ってくる。

「……アドレス教えても大丈夫ですか」

 

紫苑:

「それはかまわない」

と返事をした後に、立ち上がる。本当は今夜の話を彼に直接しておきたかったのだが、妹さんの前でできる話ではない。

「私はこれから図書館に行くけれど、君たちは?」

 

冬海:

「ありがとうございます! じゃあお兄ちゃんあとでメールちょうだいね!」

春香は笑顔で残りの唐揚げをさっさと平らげ、

「ごちそうさまでした! わたしはまだクラスでの準備が残ってるので教室に戻ります」

と言いながら立ち上がるとお盆を持ってささっと去っていった。

「……疲れた…」

気がつけばすっかり冷めてしまったビーフシチューを口にしつつ、

「ああ、じゃああとで僕も図書館に行きますよ」と小声で相羽さんに返した。

 

紫苑:

「…ああ、じゃあまた」

春香ちゃんを見送って、彼女が食堂から出たことを確認した後に、

「図書館と言ったけれど、君が良ければ、やっぱり花園に行かないか?場所は知ってる?」

と自分も小声で返す。

 

冬海:

「あっ、知識としては知ってますけど実際の場所はよくわからないですね……! 連れて行ってもらえますか?」

そう返して、ビーフシチューを食べる手を早める。

 

紫苑:

「いいよ」

いったん席から立ち上がっていたが、彼を待つためにまた元の席に座る。

「私も、しばらく行ってないんだ。別にここから遠くないんだけどね。君は行ったことないんだろうし…」

自分もあの時以来、花園に足を踏み入れてはいないのだ。怖くないといえば嘘になる。でもいきなり、あの花園で敵前に立つよりも、今のうちに彼と共に、あそこを一度訪れておくほうが、賢明かと思ったのだ。

 

 冬海:

「知識がないひとには近づいてもそれと解らない場所にはあるんでしょう?」

と言いつつ再び座って待ってくれている相羽さんに悪いので更に食べる手を早め、ほぼ食べ終わったそのときポケットの携帯電話が鳴った。

「ちょっと失礼します」と断って確認すると、春香からのメールだった。

『お兄ちゃんへ。あとでそちらから送りやすいように先にメールしておきます。それにしてもいつの間にお知り合いになったの?うんと近くで見た相羽さんはやっぱりかっこよくて、改めてこんなお姉ちゃんがいたら良かったな〜って思ったりしました。それじゃ、メールアドレスの件よろしくね!』

実に気が早いなと苦笑しつつ文中の『お姉ちゃん』という言葉に「ん?」となる。

「あの……相羽さん、つかぬことをお聞きしますが、その……相羽さんは女性の方ですか?」

 

紫苑:

「それはそうだけども、それが何か?」

少々憮然として返す。男に間違えられたこともないわけではないが、面とむかってそうずばり聞かれたのは初めてである。

「花園は、まあ、知らない人にはただの公園の一角に見えるだろうからね」と答え、話題を戻そうとする。

 

冬海:

「いえ、なんでもないです。すみません」と謝り、

「僕も公園には時々行きますけど、それらしい場所に近づいたことはないですね」

と言った。多分、ふたりの女神の力が働いてそれを感じさせないようになっているのだろう。

「ごちそうさまでした。じゃあ、花園に案内してもらえますか?」

 

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お二人にブーケを。「ブーケ」「ブーケ」

 

紫苑:

「食べ終わったなら、そろそろ行こうか」連れ立って食堂を出る。花園は、この階層の中心にある公園の、さらに中心のはずだ。ここの食堂からなら、十分歩ける距離だろう。実際のステラバトル以外で、あそこで人を見かけたことはないので、もしかしたら何か神秘的な力が働いているのかもしれない。

「花園について、あの本になにか書いてあった?」

例の図書館にあった本は、結局彼が借りて帰ったはずだ。

 

冬海:

ふたり並んで歩きながら、質問されたことについて頭を巡らせる。

「ええと…詩ではなく『そこにはありとあらゆるすべての種類の花があり、季節を問わず咲き誇っているといわれる。たが、その正確な位置は今日でも解っていない。死後の風景なのではないかともいわれている』と記述がありましたね」

(戦史ではあくまでこの世界にある様々な色と種類の花があるけどその種子が生まれる場所であるらしい花園があるけどそれはほんとうかわかんないよ!と一般人には読み取れる書き方をしているということで…玄人には他のページの詩と併せて読むと解る仕組みになっています)

 

紫苑:

「死後の世界か」

そうかもしれない。ステラバトルの最中に、この世界に存在しないいろいろなものを視た。

「私が知ってるのは、ステラバトルの開催される数日前から、選ばれたステラナイトの花章の花で花園が満ちるということだけだ」

そう、エクリプス討伐の際には、そのエクリプスの花さえも。

 

冬海:

「花章の花で……つまり、花園を見に行けば今回のバトルに参加するステラナイツが何組か解る、ということですか?」

と訊ねていると、見慣れた公園が目前にあった。ただ、なにかがいつもと違っていて胸にざわめきを覚える。

 

紫苑:

「そういうことだね」

そろそろ公園の中心部の円形広場だ。いつのまにか、あたりから人気は消え去っていた。四機の美しい昇降機と花園に囲まれた願いの決闘場。そして清らかな水をたたえた噴水。花園に咲く花を確認する。黒のオダマキ、青のコスモス、そして…あと1つ。

それを目にした途端、血の気が引き思わず足が止まった。

 

冬海:

唐突に拓けた感じのするこれまでに見たことのない風景を見回していると、足を止めた相羽さんにぶつかってしまった。

「す、すみません。……どうしました?」

なんだかただならぬ雰囲気を感じて目線の先を追うと、そこにはいびつな形をした黄色の花が咲いていた。

「あれは、アネモネ? でも……」

 

紫苑:

...エクリプス」

なんとか声を絞り出す。

「今回の敵はエクリプスだ。星喰の因子を植え付けられたステラナイトだ」

歪な黄のアネモネから視線をそらすことさえできず、ただその場に立ち尽くす。

 

冬海:

「今回はステラナイト同士での戦いになるんですね…」

エクリプスに関しての知識も得てはいたが、実際に戦うことになるのだと把握すると身震いがしてきた。動けないでいるらしい相羽さんの前に立ち

「僕たちの花章は黒のオダマキ…でいいんですよね」と確認の言葉を投げた。

 

紫苑:

彼に視線を遮られて我に返る。大きく肩で息をつくと

「そうだね、うん。私達の花章は、黒のオダマキだ」

目を閉じて、ひとことひとこと、噛みしめるように。

 

冬海:

返事を聞き、改めて花園にある花たちを眺める。

「もうひと組のステラナイトが青のコスモス、というわけですね」

黒と青が占める幻想的な花園において、一輪だけにもかかわらずその黄色いアネモネは大きく異彩を放っていた。

「……そろそろ、ここを出ます?」

 

紫苑:

「ああ、そうだね」

そう言ってから、軽く再び息をつく。そして彼の目を真っ直ぐに見つめ

「その前に、篠原くん、ちょっと手をかしてくれないか?」

 

冬海:

「ああ、はい」と素直に両手を差し出す。

 

紫苑:

差し出された両手を自分の両手でつつみこむように握った。その手は少しばかり骨ばっていて、エスミの柔らかい手とはやはり違うなと思う。

「私は以前、この庭でエクリプスとして戦ったことがある。その時に自分のシースを取り返しがつかないくらい傷つけてしまってね。…それでも君は、私と今夜ここで、この花園で、共に戦ってくれるだろうか?」

 

冬海:

僕の手を包んできた相羽さんの手はあたたかく、指先は男性のそれに比べると細く見えた。「エクリプスとして……そうだったんですか」そのときの花章は解らないが、あの黄色のアネモネのように歪に咲いていたのだろう。「ええ、相羽さんと共に戦うという気持ちは変わりません。ですが ひとつだけ約束して欲しいです。……危険な戦い方はしないということを」

 

紫苑:

「ステラバトルに危険はつきものだけれど…でも、できる限り危険なことはしないと約束するよ。君を傷つけないためにも」そう言って、彼の手を軽く握る。

 

冬海:

「いや、僕は別に傷ついても気にはしないんですが……でも相羽さんには傷ついて欲しくないんです。身体はもちろんなんですが、心のほうもですね」

傷ついても構わないと思うほど強くなければ世界の平和など到底望めないのだろうとは思うけれど、それでも。

 

紫苑:

「君は…難しいことを言うね」思わず苦笑いする。「今夜の戦いで何が待ち受けてるかはわからないけど…...でも君が守ってくれるなら、たぶん、傷つくことはない気がする」そう言って、彼に向かって柔らかく微笑んだ。

 

冬海:

相羽さんの微笑みに内心ドキリとしながら

「ええ、ちゃんと守りますから!」と力強く返す。

「……そういえば、夜の集合場所を決めないといけないんでしたっけ」

 

紫苑:

「ああ、うん」

我に返って少し恥ずかしくなり、彼の手を離す。

「どこにしよう?あまりひと目につかないところがいいと思うのだけれど」

 

冬海:

「えーと、汚くても良ければ僕の家でも大丈夫ですけど……あ、でも昨日の今日で家にお呼びするのもどうかって感じもしますね……」

 

紫苑:

「いいよ。それは気にしないでも」

くすくす笑って答える。

「じゃあ、昨日の今日だけど、お邪魔しようかな。今日の夕御飯の予定は決まってる?学園祭の準備の追い込みで忙しい?」

 

冬海:

「大丈夫ですか?ならうちにどうぞ。学園祭の準備は午前のうちには終わってるんで問題はないですよ。相羽さんの方は大丈夫ですか? 馬術部にいらっしゃるとさっき言ってましたけど」と訊ねつつ、

「夕飯は適当に買って帰るつもりでしたけど、どこかオススメとかあったりします?」と付け加える。

 

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もっと!もっといちゃいちゃしていいのよ!ということでブーケをお二人に。「ブーケ」「ブーケ」

 

紫苑:

「実は今年の学園祭は、後輩に任せてさぼってるんだ」

と微妙な表情で答えたあとで

「いつも夕飯は、寮で出るごはんを食べたり食べなかったりだし。特にお勧めとかはないなあ。君の方こそ、何かある?」

 

冬海:

「ああ、そうなんですね。じゃあ、父さんの知り合いか経営してる喫茶店があるんですけと、スパゲッティがおいしいんですよ。良ければ行ってみます?」

 

紫苑:

「いいね。じゃあ、あとで行こうか。場所を教えてくれれば、7時くらいに店に直接行くよ。それと…」

一瞬ためらったが思い切って口に出す。

「相羽さんというよそよそしい呼び方はやめてくれないか。紫苑でいい。紫苑で」

 

冬海:

「大学近くにある商店街の、奥まった一角にありますよ。古本屋さんの隣です。じゃあ、僕も直接行きますね」

と言い、続いた提案には

「わかりました。では、紫苑さん、で。僕も冬海でいいですよ」と。

 

紫苑:

「じゃあ、冬海くん」

彼の名前を呼ぶと少しくすぐったい気がした。

「それじゃ、またあとで」

花園を去る前に、もう一度黄色いアネモネにちらりと目を向ける。ひとり、その花章を持つステラナイトを知っている。彼が今回のエクリプスでなければ良いのだが。

 

冬海:

「ええ、紫苑さんまた後で」

と返して花園をちらりと見やって、そこをあとにした。

 


 

監督:

ここで紫苑-冬海ペアの第二章は終了。続いて八朔-顕子ペアとなります。

 


八朔-顕子ペア、第二章イントロ

 

私がSoAに転校したのは、父が罪を犯して逮捕されたからだ。それまでシトラ女学院で「純粋培養のお嬢様」だった私にとっては青天の霹靂で、そのまま学校を辞することになった。よほど面の皮が厚ければそのまま在籍しても良かったのだけれど、さすがに鈍い私にもそれが不可能なことは察せられた。

 母はとうの昔に亡くなっていたから、ばあやや使用人たちが色々面倒を見てくれたが、すぐに彼らとも離れ離れになった。財産はいくばくか残されたし、保証人という形だけは親族が請け負ってくれたので(引き取りは拒否された)、当面の生活はなんとかなったが、本当にただ一人という状況は今までなかった。小さくて狭いアパートに僅かな家財を詰め込んで、始まった一人暮らし。慣れ親しんだものはごくわずかの手周りの品くらい。

 食事もたった一人だった。それまでも決して家族団らんの時間が持てていたわけではないが、使用人たちがいた。しかし今は部屋に一人。簡単な食事を作って(ばあやがどこに嫁に出ても恥ずかしくないようにと、少しずつ教えてくれていたのが役立った)一人で食べる。それが幾らかの解放感とともに沢山の寂寥感を連れてくることに、早々に気付いてしまった。

 寄る辺なき身をどうしたらよいのだろう。一人で生きていくにはどうすればいいのだろう。不安で悲しくて、学校にも馴染みづらかった。

 食事を作っても食べる気が起きなくなって、ふと部屋を出て近隣の公園で川を眺めていた時、八朔さんが声をかけてくれたのだ。

 お腹がすいているのを察して、差し出してくれたおにぎり。断ったけれど盛大に鳴ったお腹が、現状を雄弁に語っていた。彼は笑って一緒に食べようと誘ってくれて。その声に応えておにぎりを手にした瞬間だった。女神の声が聞こえたのは。

 

 そこから何故か、私は彼の作る食事を度々ごちそうになるようになった。材料費はお渡ししているし、お茶やサラダ、デザートを提供してはいるけれど、労力は彼の方が多くかかっている気がする。本当に、今のままでいいのだろうかと不安になるけれど、彼は明るく「良いっスよ」と笑ってくれるのだ。そのたびに心にとても温かいものがよぎる。

こんな彼を守れるなら、戦う力になれるのならば。私はこの身と心のすべてで彼の力になりたいと思っている。

 

 今まで2度、ステラナイトとして戦った。3度目の今夜も勝てるように、彼を支えなければ。

 

 ……と決意をあらたにしつつ、事前の腹ごしらえというか、夕食の時間を迎えた。彼の部屋にお邪魔して、夕食が出来上がるのを待っているなんて、去年の自分からは想像もつかないだろう。殿方のお部屋に一人でお邪魔するなんて!

(でも八朔さんは紳士ですし、戦いの前はいつ花園に転送されるか分かりませんから一緒にいた方がいいですし。お夕食をご一緒できますし、良いことづくめなのですわ)

 1DKの彼の部屋のキッチンからは、バターの香りが柔らかく漂ってきていた。私はそっと彼の料理する姿を眺めている。

(朝のお買い物で白身魚を購入してらっしゃったので、今日はムニエルを希望いたしました。先ほどかぼちゃを裏ごししてらっしゃったからポタージュもあるのでしょうし、バゲットも買ってらした。サラダがあれば完璧ですわね)

 戦の前だというのに、ほのぼのと温かい心地になってしまう。誰かの笑顔、おいしいごはん、そんな時間がこんなに貴重なものだったと彼が教えてくれた。ならば、私たちはそれを守ろう。自分たちと、見知らぬ誰かのために。

 

八朔:

テーブルに座って待っていた顕子さんの前に完成した料理を手際よく並べていく。朝の買い物はなかなか実りが多く、それに比例して調理作業も楽しいものとなった。

「今日のディナー、お待たせしたッス!」

リクエストに応えた白身魚のムニエル、それからかぼちゃのポタージュスープ、そしてレタスとプチトマトのシーザーサラダを添えたものだ。あまりしつこくなっても困るかな、と思いパゲットには何も乗せたりせずそのまま出した。エプロンを取り、自分も椅子に座る。

「ささ、冷めないうちに食べちゃうッス! いただきますッス!」

そう言いながら手を合わせる。

 

顕子:

「まあ、いい香り」

自然とほころぶ顔を自覚しつつ、八朔さんに倣って手を合わせ

「頂きます、今日も素敵なディナーを作ってくださったことに感謝いたしますわ」

と頭を下げる。スープはまろやかで口当たりがよく、温められたバゲットはぱりぱりと小気味よい音を立てた。一通り口に運ぶと、溜息が漏れる。

「ムニエルの焼き加減、とても良いですね。バターの溶け加減と関係あるのでしょうか。スープもとても滑らかで美味しいです」

そっと見守っているふりをして凝視していたのがあからさまだろうか。

「こうして八朔さんとご一緒にお食事出来て、本当に嬉しいです」偽りなき言葉。

 

八朔:

「バターをケチらないことが大事ッスね。カロリー的にはアレッスけど」と笑い、

「自分も顕子さんとごはん一緒に食べられるの嬉しいッスよ、なんだかんだでこっち来るまでは基本的に誰かと一緒に食べてたッスからねえ」

と脳裏に故郷のレストランでの喧騒を思い起こしながら返した。

 

顕子:

「八朔さんは、どうして料理の道を志してらっしゃるのかしら。どんな切っ掛けがありましたの?」

改めて聞いたことがなかった。彼の後見人らしきレストランのシェフに引き合わされたことはあるが、やたら歓待されたものの詳しい話はなかった。結構彼の来歴も謎に包まれているのだ。

 

八朔:

「自分は第五層の生まれなんスけど、メインの食料生産施設がある場所以外はそう治安が良くないところも多いんスね。で、色々ドサクサに巻き込まれてる内に親が死んで、同じ境遇の子たちと一緒に外で暮らしてたッスよ。いちおう生産施設からのおこぼれはあったんで、飢えることだけはなかったッスね。自分の根城にしてたあたりにある日レストランが建つことになって、自分は建設中のソレを眺めながらリンゴを剥いてたんスけど、そしたらやたらテンションの高そうな人が「りんごの皮、均一に長く剥けるのね。いいじゃない、キミ料理に興味はある?」って訊ねて来たッスよ。ないことはないからとりあえず頷いたッス。そしたら「よし、じゃあオネエさんが懇切丁寧に教えたげるからキミもシェフを目指しなさい」って言ってきてそのまま連行されたッスよ。で今に至るッス」と言ってパゲットを齧る。「結果的にはそれがなかったら今ココにはいなかったッスね」そう考えるとあの人は命の恩人だ。

 

顕子:

パンをちぎっていた手と、呼吸が止まった。泣きそうな自分を叱咤して、言葉を探すがうまく見つからなくて。頭を巡らせて出た言葉はつまらないものだった。

「あの。前にお会いしたことのあるミドリさん、でしたっけ?そんな出会いだったのですね。そしてこの手が」八朔さんの指を見つめて。

「生きるすべを、糧を、未来を運んだのですね」深呼吸して「あの方が八朔さんを見出してくださって良かった。八朔さんが差し出された手を取ってくださって良かった。わたくし、八朔さんにあの時お会いしていなかったら、今頃どうしていたか分かりませんわ」

我慢できずに涙がこぼれた。

 

八朔:

「とっ、とりあえず落ち着いて欲しいッス!」

感極まってしまった様子の顕子さんを見て慌ててしまうが深呼吸して気を落ち着け

「あの時あのタイミングで顕子さんに会ったの、今思えばすごいッスね」と。

あそこですんなり声を掛ける気になったのは、やはりミドリさんとの出会い方が大きかったのだろう。

 

顕子:

「わたくしは弱い。一人では何もできないのだと痛感いたしました。父が逮捕されて一家離散になって、わたくしはひとりで生きていかねばならない。それまで有形無形の守りを得ていたことに気付きもしなかった。失って気付きましたがそれでは遅かった。だから」

涙を拭いて

「貴方に会えて、貴方を守れることがどれほど心の支えになったか。貴方の差し出してくださった手が、どれほどかけがえのないものなのか、今ではわかるつもりです。それを女神様の導きだなんて思いたくないんですの。だって、貴方は貴方なんですもの。貴方が選んだ道の延長線上にわたくしがいたと思いたいんです」

 

八朔:

少し悩んだのち、

「あそこに居合わせたのは確かに女神様の力かもしれないッスけど、声を掛けたのは自分の意思ッスし、それに応えたのは顕子さんの意思ッスよ」とだけ返した。

 

顕子:

はっとして

「ありがとうございます。選べないことも多い中で、きちんと選び取ったのだと思いたくて……わたくし、何か興奮しておりますわね。すみません……いけない、お食事が冷めてしまいますわ。今夜のこともありますし、美味しいうちにしっかりと頂かねば」

笑ってパンを手に取る。

 

八朔:

「ステラナイトになるかならないかの選択肢も女神様はいちおうこちらに委ねてはいるッスからね」どちらかが同意しなかった場合、女神はその場をいったん引くのだという。「おたがいしっかり食べておくッスよ」と笑いながら自分もポタージュに手を付ける。

 

顕子:

しばらく美味しそうに味わっていたが、ふと気になって切り出す。

「今日の相手はどんな方なのでしょう。一般市民の方かしら、それとも」

同じステラナイトでもロアテラの尖兵となってしまった者たちがいる。

「どのみち戦うのは同じですけれど。星の騎士の道を選びながら、敵の手先になってしまったのだと戦の後で気付いたら、とてもお辛いでしょうね」

自分たちもいつそうなるか判らない恐ろしさがある。

「わたくしたちは願いに囚われてしまったのかしら。きっとそこを敵に付け込まれるのですわね。それでも、捨てられない願いがあるのだわ」トマトをフォークに載せながら。

 

八朔:

「光のように強い願いは闇にとっても惹きつけられるものなのかもしれないッスね。だから、敵が輝きを囚えて歪ませてしまうのかもッス」と返し自家製の玉ねぎドレッシングをサラダにかける。

 

顕子:

彼の言葉に頷きながら、私は彼が歪んでもついて行くかもしれないと思った。それとも叱咤するのかしら。時々八朔さんのことを考えていると判らないことに遭遇する。何故なのかしら。こんなに誰かのことを考えた経験がないから?

とりあえず今は前に進もう。

「ドレッシング、とても美味しいわ」

 

八朔:

「それは良かったッス。サラダはまだおかわり作れるッスからね」と返し、時計を見た。

「ああ、そろそろおにぎりも握っておいたほうが良さげッスね」

最初に女神たちから呼びかけられたあと、手持ちのおにぎりがなくなっていたという一件があって以来、出陣前にはなんとなくおにぎりを添えていた。

 

顕子:

「きっと女神さま達も八朔さんのおにぎりを気に入られたんですわね」

彼のこういうところがとても好きだと思う。きっと女神さまでも誰でも、目の前の人がお腹を空かせていたら、彼は躊躇わずに自分のおにぎりを差し出すだろう。

「今日はわたくしもお手伝いしようかしら……よろしいですか?」

「女神さま達は八朔さんのおにぎりがお好きで、わたくしのだとお口に合わないかもしれませんけれど」

少し心配になって付け足す。

 

八朔:

「ぜひ手伝って欲しいッス。おいしいおにぎりを食べてもらおうという気持ちがこもっていれば女神さまもきっと喜ぶッスよ」

と笑って返す。折りよくご飯の炊ける音がした。

 

顕子:

「勿論心を込めますわ!」

”おむすび”が、文字通り私と彼の縁を結んでくれたことに感謝しつつ、今日の戦の勝利を願いながら手を洗う。炊き立てのご飯はとても熱くて流石に少し冷ましてからでないと握れないけれど、必ず幸せに繋がっているから、大事に握ろう。私は彼を見上げて笑った。

 

八朔:

「よし、出来たッスね」

自分と顕子さんが握った同じくらいの大きさのおにぎりが並ぶ。自分は中に高菜を詰めた。少し冷ましてからラップに包もうと思っていると、顕子さんと目があった。どちらともなく笑みが漏れる。

 

顕子:

笑みを口元に浮かべた彼を見て、ふと気付く。

「八朔さん、かぼちゃのポタージュでおひげが出来てますわよ」

ハンカチを取り出してそっとふき取る。

「戦の前ですもの、お化粧まで行かずとも身だしなみを整えねば、ですわ」

普段世話を焼いてもらう自分が逆の立場に立てて何だか嬉しかった。

 

八朔:

「ありゃ、失礼したッス。ありがとうございますッス」

と拭いてもらったお礼を言う。顕子さんのテーブルマナーは流暢なので、こういうとき育ちの違いを感じて少しばかり恥ずかしくなる。

 

顕子:

「いえいえ、わたくしも良くばあやに注意されましたわ」

年上の彼が恥じ入るのを見て少し慌てて頭を横に振って

「そうだわ、お皿洗いはわたくしが致します。せめてそれくらいはさせてくださいね。エプロン、お借りしてもよろしくて?」

 

八朔:

「じゃあありがたくお願いするッス。エプロンもいいッスよ。フリーサイズッスから顕子さんでも問題なくつけられると思うッス」と緑色のエプロンを渡し、自分は皿をまとめて台所に運びはじめる。

 

顕子:

エプロンを身に着け、大事そうに皿を受け取ると丁寧に洗い始める。皿の触れ合う音、背後で彼の気配。

「八朔さんのおかげでわたくしの願いの半分はかなっている気がいたします。でもこの幸せを他の方にも届けたい。そう思える今はきっととても幸せなのです。……今夜も、頑張りましょう」

 

八朔:

皿置きに置かれた洗いものを拭きながら「そッスね。頑張るッス」と返す。なにか予感めいたものを感じるので、花園へ転送されるのもそろそろなのだろう。少しだけ気を引き締めた。

OH……藍さん…… つ【ブーケ】

 


 

監督:

ここで八朔ー顕子ペアの第二章は終了。続いて藍ーシトリンペアとなります。

 


藍―シトリンペア、第二章イントロ

 

藍:

 

 学園祭前日ともなると、教員はある意味監督役であり、各方面との調整役となる。6校合同ともなれば横のつながりの調整なども多い。事故が起きないように、学生たちが羽目を外しすぎないように、呆れつつも見守る立場というのは多少なりとも胃が痛むものだ。

 そんな喧噪も、さすがに午後ともなると落ち着いてきて、ようやく化学準備室にもどって昼食を食べる時間がとれた。

「ふう……」

 溜息をつくと幸せが逃げるというが、体内のバランスを取っているに過ぎない。溜め込むのは貯金だけで十分だ。適度に発散せねば。そう思いながらコーヒーカップをデスクに置き、椅子に座ろうとして……ぐらりと目の前が回った。

「おお?」

 疲労がたまっていたのか。昨日も結局上手く寝付けなかったしな、と金髪の少女とのひと時を思い返しつつデスクに手をつくと、指先から何かが這いあがるような嫌な感覚を覚えた。じわじわと痺れるような、暗い暗い闇のあぎとに食い荒らされるような冷たくて不安になる感覚。

 閉じているはずの視界にうっすらと何かが映る。星明りの下で揺れる花が2輪。

 それは、黒のオダマキと青のコスモス。

 2輪の花は、どこか歪んだ花びらを……いや、花びらが歪んでいるのではなく、存在がいびつなのだ……風に揺らしていた。そしてそれらに圧されるように震える黄色のアネモネの花びらが今にも散ろうとしていた。

 

 まなうらの幻は、冷たい風が花を散らすように吹き付けてきたところで消えた。考えなくても、それが何を表しているのかすぐ分かる。今夜の戦場でまみえる相手と俺の象徴だ。それも相手が二人、エクリプスだ。 

「参ったな」

 さすがに今まで一人で戦ったことはなかった。さらに相手がエクリプス二人だなどと、前代未聞だ。不公平にもほどがある。これは、困難な戦いになりそうだ。今までのようにはいかないだろう。

 ……こんな世界を、必死になって守る理由はあっただろうか。シトリンを傷つけるリスクを負ってまで守る理由は俺にあるだろうか。

 ふとそんなことを考えた。何故だろう? 頭がぼんやりして理路整然とした思考ができない気がする。

 彼女の笑顔を守るのが俺の望みで、人々の笑顔も守れたらいいとは思う。だが、そのために彼女を危険にさらすのは本末転倒ではないのか? 

 滅びてしまえ、こんな世界など。俺と彼女が手を取り合えない世界など。笑顔をいつか誰かに奪われるなら、今いっそ世界ごと滅びれば……

 

 そこまで考えて、二度目の深いため息をついた時、扉がノックされた。

 

おの:OH……藍さん…… つ【ブーケ】

 

シトリン:

返事に応じてドアが開く。そこに立っていたのは、彼女だった。

「あの…マスター?」

いつになく不安そうな顔つきで、彼女は藍を見上げた。

 

藍:

今一番会いたくて会いたくない存在がそこにいた。

「どうした? 早く入りなさい。……学校で”マスター”はやめるように」

言葉を出すのが精一杯だったが、彼女の不安げな様子が気にかかった。再び問う。

「クラスの準備はもういいのか?……どうした、そんな顔をして」無理に笑う。

 

シトリン:

シトリンは扉を閉めて、遠慮がちに中に入ってきた。

「みんなが、もう私はいいって。だから、今夜のこともあるし、もう家に帰ろうと思って」

そう言って、彼を見上げる。

「先生は、今日は遅いのですか?」

 

藍:

「そうか。大丈夫だよ。少し体調がすぐれないと言ってあるし、この後早めに帰らせてもらうつもりだ」

実際今頭が朦朧としている。思考がかき乱されて、常ならぬものになっているのは朧気に理解した。だが、それが何だ。この世界が滅びればもう彼女と離れることなどない。それは甘美な誘惑だ。

我に返る。俺はいったい何を?だがすぐに思考が曇る。

「女神の手になる世界」は敵だ、俺の本当に欲しい大切なものを奪うのだから。そっと手を彼女に伸ばす。髪に触れ、頬に触れ、唇を指でなぞって。

「一緒に帰ろうか。もう少しここで待てるか?」耳元でささやく。

 

シトリン:

藍の指が頬に触れた時、一瞬体を硬くするが、そのまま彼女は動かない。指が唇に届くと、潤んだ黄水晶色の目が恥ずかしげに伏せられた。

「ここで待ちます。いっしょに帰っていただけるのなら」と、遠慮がちな、ささやきが返された。

 

藍:

潤んだ目も、柔らかな肌も唇もひどく蠱惑する……いや、俺は何を考えている。ここは職場だ学校だこの子は生徒で預かりものだ。ぱっと手を離して顔を背け

「それなら早めに片付けるから待っておいで」

予備の椅子を勧め、自分も昼食に戻りながら残務を片付ける。少し手が震えている。

 

おの:(シトリンさんと藍に)学校はまずいですよ! と言いつつぽーんとな つ【ブーケ】

 

シトリン:

彼女は椅子に座ると、再び遠慮がちに口を開いた。

「先生、気分がすぐれないのですか?顔色がとても悪い気がします。急ぎの仕事でないなら、いますぐ帰宅して休まれたほうが?...今夜のこともありますし」

 

藍:

「なんだかとても頭がぼんやりしてな。戦闘を前に気が高ぶっているせいかも知れない……そんなに顔色が悪いか?」

昼食を手早くとってコーヒーを飲み干す。仕事は……もうちょっと進めれば明日に持ち越しても大丈夫だろう。

 

シトリン:

「はい。早く休まれた方が良いと思います。」

そう言って彼女は黙ったが、しばらくするとためらいがちに口を開いた。

「あの、それとも、今夜の、ステラバトルのことが、マスターも?」

 

藍:

「有難う、花園に行く前に一休みできるようにしよう」

仕事に戻って書類を書き続けていたが、彼女の言葉に視線を巡らせて

「……ああ、シトリンもか。どうやら今回はエクリプス、それも二人を相手にするようだ。先ほど啓示らしきものがあったよ。とても厳しい戦いになりそうだ」溜息。

 

シトリン:

「今回もマスターを無事にお守りできればいいのですけれど」

瞳に一瞬不安の影が宿ったが、すぐに彼女は大人びた微笑みを浮かべた。

「いえ、そんな弱気ではダメですね。今回もマスターのお役に立ちます。それがシースの役目ですから」

 

藍:

手を完全に止め椅子から立ち上がる。そのまま彼女の傍に歩み寄って、視線の高さを合わせる。

「ありがとう。シトリンはいつも通りでいい。君と」一つでいられる瞬間を無為にするものか。

「……君が幸せでいられるように。俺は全力を尽くすよ」今やそれだけが自分に残されている気がした。

 

おの:(藍に)つ【ブーケ】【ブーケ】【ブーケ】

 

シトリン:

「ありがとうございます。マスターと共にあることが私の幸せです。マスターも思うがままに、私をおつかいください。命をかけて、マスターをお守りいたします」

どこか切ない微笑み。はかない、その場限りの甘い夢を見ているような。

 

藍:

手を取り真顔で。

「そんな顔をするな。命なんてかけるな。負けたっていい。最後まで君とともにいられるなら本望だ」

何故か脳裏にアーセルトレイの崩壊するさまがよぎる。それがどこか心地よいのはどうしてだろう。そして。

「……っ、俺は」

今言ってはならないことを言わなかったか?

 

シトリン:

「はい。私も最後の時まで、マスターと共にあります。」

そう言って、そっと彼の手を持ち上げ頬をよせる。

 

おの:シトリンさんにも つ【ブーケ】【ブーケ】【ブーケ】

 

藍:

彼女の頬のみずみずしさ、柔らかさを感じながら、歪んだ欲と強い破壊衝動、自分の理解者は彼女しかいないという思いがぐるぐると身を満たした。波のように襲い来るそれらに耐えきれなかった。そっと彼女の手を離すと、見上げてくる彼女を抱きしめた。

 

おの:(藍に)アーアー(ぼうよみ) つ【ブーケ】

 

シトリン:

彼女は藍の胸に体を預け、そして「マスター」と彼の名を呼んだ。

「離さないで。ずっといっしょに。」

そして花のような笑みを浮かべ目を閉じる。それは心から幸せそうな笑顔で、藍がついぞ今まで見たことがないものであった。

 

藍:

彼女はこんな笑顔ができる。それを引き出したのは自分だ、という自負と喜びで胸が満たされる。そこにあれほど己を律していたはずなのに、とわずかに残った理性が警鐘を鳴らす。そして廊下を走る生徒の足音と、それをとがめる教師の声で我に返った。

「すまん、仕事をすぐに終わらせる」

 

シトリン:

「はい、お邪魔をしないように、しばらく黙っていますね」

彼女は椅子に戻る。いつもの彼女と変わりないがしかし、普段よりも少しだけ機嫌が良いようにみえた。

 

藍:

「すぐ終わる。すまんな。」

藍はすでに思考の曇りを感じなくなっていた。それは浸食がすすんだ証なのか、心が通いあった幸せゆえか。

「終わったよ。帰ろうか」

鞄を手に、シトリンに声をかける。機嫌の良さそうな表情にこちらも頬を緩めて、化学準備室のドアを開けた。

 


 監督:

第二章は終了。続いて幕間、紫苑ー冬海ペアからとなります。 

 

(追記)

   アマミヤさんから第一章第二章合わせて、紫苑-冬海ペアに24個、八朔-顕子ペアに26個、藍-シトリンペアに28個ブーケを頂きました。ありがとうございました。


 

 

 

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