《 My Lord 》 written by koto
青い空が苦手だった。それはきっとこのフォートレスの、いや、世界中で生き残った人々に共通する思いだろう。
ソラバミは灰色の雲を突き破って降りてくる。むかしばなしに語られるような青い空、本当の空の色がその時だけ見える。焦がれて焦がれて、でもひどく遠くて恐ろしい色はわたしたちの遥かな頭上にソラバミを抱いて広がっている。それを考えるだけで足が震えるというのに、わたしはとうとうそこへと旅立つ切符を握らされてしまった。
陛下の勅使が掲げて読み上げた『フィアンセ』任命書がわたしに手渡された。本来は軽い紙一枚のはずなのに、ぞっとするほど重い。少し震える手で受け取ると、勅使は
「サラ殿。あなたはリヴァルチャーに乗る『フィアンセ』として見出されました。それはとても名誉なことです。今後、陛下や皇太子殿下、ヒンデミット伯爵家の『フィアンセ』にもしものことがあったときはあなたが皆様のパートナーとしてリヴァルチャーに乗るかもしれません。覚悟と誇りをもって過ごすように願います」
わたしにそう告げてから大学の講堂を辞した。
ドがつく平民生まれのわたしだけれど、生まれつき背中にフィアンセ適性を示すコネクタがあった。それゆえに
子どものころから寄宿舎に入れられて大切に育てられた。大学を飛び級して卒業することが決まった途端、一層優秀なフィアンセ候補として尊重された。でもそれは周囲からの隔意と表裏一体で、わたしには友達と呼べる人間はひどく少なかった。
いずれ王家もしくは貴族のそばに立つべき人間。平民生まれのくせにそこらの貴族よりもずっと尊ばれる存在。羨望と嫉妬、憧憬が入り混じった視線にさらされる日々。
わたしを「わたし」として見てくれるのは心優しい両親(それも幼少から離されてあまり会えなかった)と数少ない友人たちのみだった。
今日は大学の卒業式。わたしが卒業するのを待って王家は私を王宮付き女官として迎え入れると決めていた。それを知っていたから、本来はゆっくり学業に専念したい気持ちもあったのだが、もろもろのプレッシャーに負けてとっとと飛び級したというのが実情だ。
学長や教授たち、学生たちの拍手を受けて一礼すると、私は任命書を抱えて着席する。背後で渦巻く声の波に溺れたくなかったが、卒業式はまだ続いていた。苦痛はまだしばらく続きそうだ。
私、サラ・ジェファーソンが生まれたのはフォートレス・あかつき。フォートレスは移動要塞にしてひとつの国家なのだが、このあかつきは周辺のフォートレスの中でも最大級で、直轄領も有する巨大国家だ。何せ直轄領を含めてリヴァルチャーが4機以上あるというのだから、その権力・影響力は世界でも比肩する者は少ないだろう。人を滅ぼそうとする兵器、ソラバミを倒せる唯一の対抗手段がリヴァルチャーと呼ばれるロボットだが、それを1機所有するだけで相当な権力を約束されるのだから。
わたしはそのリヴァルチャーのパイロット『シュヴァリエ』のパートナー適性を持つ存在、『フィアンセ』候補なのだ。
王宮に上がる日はもうすぐだった。それは女官として勤めながら、有事の際はリヴァルチャーに乗って戦うときが近いかもしれないということ。身震いのする思いだけれど、仕方なかった。この世界で生き残るためには、リヴァルチャーを駆る者がいなければならない。誰かが、それをなさねばならないのだ。
ただし、あかつきには実は有力なフィアンセがすでに3人いる。
一人は皇帝陛下のパートナー。
一人は皇太子殿下のパートナー。
最後の一人はヒンデミット伯爵家の嫡男、エルンスト様のパートナー。
陛下は実戦にはまず出撃なさらないので、皇太子殿下とエルンスト様があかつきと周辺地域を守っている。わたしは彼らのパートナーたちのいわば予備なのだ。それでももしものとき……たとえばフィアンセをパージしてでも戦い続けなければならない状況に陥ったときには早急に予備が求められるだろう。だからこその待遇だった。
「はー……荷造りも終わったし、ちょっと散歩にでようかな」
こんな言葉遣いが許されるのもあと数日だ。その名残を惜しむべく、私は外へ出た。
街中ではわたしを知っている人もいるだろうと、公園に足を運ぶ。人工の庭園とはいえ緑は心を癒す色だ。昔は世界中にそれが広がっていたというのだから、想像もつかないがちょっと見てみたい気がした。
木陰のベンチで飲み物を手にくつろぐ。女官になればそうそうこんな時間は許されないだろう。貴重な休日を何に使うことになるのか想像もできないが、今のようなリラックスした気持ちでは過ごせないのは明白だった。
ひらひらと舞い落ちる木の葉。緩やかな時間の経過。甘いジャンクな飲み物。照明の温かな色。感傷にふけりながらそんなものを楽しんでいると、突如として頭上からくしゃみが聞こえた。
「えっ?」
驚いて見上げると、頭上に張り出した大きな枝の上からこちらの様子を窺っている人影と目が合った。とびきり綺麗な少女だ。
「おはよー、冷えてきたね。昼寝してたんだけれどくしゃみで目が覚めちゃった」
意外に低めの声でそう語りかけてきた少女は、驚いて目を瞠る私に微笑みかけるとすっと腰を浮かし、次の瞬間地上に降り立っていた。音のしない素早く華麗な着地に呆然としていると、彼女が服の裾をぱたぱたはたいてから、こちらを見てきた。
澄み切った青。蒼。空の色。恐怖の対象。ソラバミをいだく場所ゆえに忌まれる瞳の色。その彩りが、今目の前に輝いていた。
「きれいな瞳……」
でも、口をついて出たのはその一言だった。
至上の宝玉、こころを貫く輝き。恐怖と憧れの色を宿す瞳を見据えて、気づけば私は子どものようにみとれていたようだ。
彼女はそんな私の反応に目を丸くしてから笑った。
「お姉さん珍しいね、そんな反応する人あんまりいないよ。ぼくの目の色はこのフォートレスでは忌まれてるでしょ?」
「え、だって、綺麗だもの。こんなに綺麗な、胸に刺さるほど美しい瞳を見たの初めてだからびっくりしたの……あっ、ごめんなさいね。初対面の人にこんなこというなんて。まるで下手なナンパみたいね」
顔を赤らめて力説する私の反応が本当に意外だったのだろう。彼女は驚いていたが、次第に表情が柔らかくなった。
「いいよ、悪い気分じゃないし。ありがと、お姉さん」
にこやかに微笑むと、彼女の周りに光が舞い散った気がした。
何故だろう。「この人だ」と心が叫んでいる。まるで一目惚れしたかのように、胸の高鳴りが抑えきれない。
「あ、あの、あなたはどうして木の上に? お昼寝してたみたいだけれど……何でそんな危ないことを」
尋ねると彼女は少し気まずそうにそっぽを向いて。
「うーん、実はさ。うちの人たちに追っかけられてて隠れてたってのがあるんだよね。見つかっちゃったらマズいから、そろそろ行くよ。じゃあね、お姉さん、褒めてくれてありがとー」
いうが早いか、ふわりと風が巻き起こる。思わず目を閉じた次の瞬間には、彼女の姿はどこにもなかった。
「幻? 今一体何が……」
取り残された私は、再び呆然とするしかなかった。
後日王宮へ上がり、王家の方々への拝謁が許されたときに彼女……いや、彼の姿を見出だして驚愕したのは今では笑い話。
「第二皇子様だと知ってあごが外れるかと思ったわよ。でも、初めて出会ったときから"わたしの王"はあなただけ。わたしがリヴァルチャーで一緒に出撃するのもあなただけ。ずっと一緒にいるわ、キア。一緒にこのフォートレスと人々を守り、あなたを最高に輝かせてみせる。」
二人だけのときに、そんな言葉が紡がれるまで、あともう少し。
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